■〜なぜ基本が大事なのか〜
2月にはコラムで集中して、「やる気」シリーズ(3回)を掲載しました。
やる気シリーズの過去のコラムは以下のURLでお読みになれます。
*第1回 なぜやる気が大事なのか。
*第2回 やる気がでないときはどうしたらよいのか(余裕の大切さ)
*第3回 なぜ甘えたくなるのか、なぜ甘えてはならないのか
今回は、やる気シリーズの第4回目です。
何事においても、基本が大切であるということ、
それはなぜなのかについて、なんらかの示唆をしたいと考えています。
■小さなことの積み重ねがわずかな差を生じる
前述やる気シリーズで書いたとおり、
「能力の差は2倍。やる気の差は100倍」です。
企業経営は、組織です。
機関投資家は、組織を評価し、「一流の組織」を「安い価格」で買おうとします。
企業における組織の力では、相撲やテニスのように、個の歴然とした力の差が直接、結果に結びつきません。
たとえば、相撲では、横綱が負けることは、15回に1−3回程度です。
個人の力量の差が勝率の差となり、横綱の勝率は80%以上となります。
個人対個人の競技では、個人間の歴然とした差が、そのまま勝敗に結びつきます。
一方で、チーム競技となれば、個人の力量の差というよりは、組織の差が成績に反映されます。
たとえば、プロ野球では、支配下選手70人、ベンチ入り25人、先発9人という人数です。
ペナントレースでは、年間の勝率55%程度でも、優勝する場合があります。
55%の勝率はたいしたことはありません。
しかし、それでも、優勝チームとそれ以外のチームの間には、その勝率が示す以上の差が存在します。
それらは、
*「どうしても勝つんだ」という意識の差であったり、
*必要な場面でミスなく進塁打を打てる打者がそろっているかどうかの差であったり、
*いつも準備ができているかの差であったりするでしょう。
結果としては、勝率の5%の差は、チーム競技である野球においては、毎試合のわずか一つの進塁打の差にすぎないのかもしれません。
(※進塁打の成功率の高いチームの勝率は高くなる)
その「わずか一つの進塁打」がほしい局面で打てるかどうかは、個人の基本的な資質に関わってきます。
(※野球においては、攻撃力とは、出塁率の高さと出塁後の進塁打の多さであり、守備力とは、四死球を出さない投手力やエラーをしないことです。)
■わずかな差の積み重ねが大きな差となる
さて、上場企業の場合、従業員数数百人から数万人までの人員を要するわけです。
「組織のちから」は、プロ野球ほどの勝率の差となっては現れません。
なぜなら、プロ野球の場合は、勝敗をあえてつけるレースですが、ビジネスでは、あきらかな勝敗がつくことはまれです。
しかし、それでも、高収益企業を調べてみてわかることは、高収益企業といわれる企業、たとえば、キーエンスなどは、
*景気のよいときも、悪いときも、
*いまもむかしも、
*どの事業でも、
例外なく、「いつも高収益」なのです。
高収益企業には、
「この事業は高収益だが、この事業は赤字である」ということがないのです。
セラミック製品以外には、たいしたビジネス領域をもっていないといったら、叱られますが、たとえば、京セラのアメーバー経営は、トップシェアではないビジネスの集まりであっても、一定以上の収益率を上げていることは、経営者の力量でしょう。
(ちょっと言い過ぎました。京セラは一流企業だと思います。しかし、「村田製作所などと比べると、京セラは差別化製品が少ない」という比較論です。)
HOYAは、複数のビジネスを営んでいますが、低収益といえるような製品はありません。
経営者が、なんらかの組織や経営に対するぶれない評価軸をもっていることの裏返しなのでしょう。
組織経営では、「基本」に忠実であることが、長期的な発展の基礎といえるでしょう。
やる気シリーズで描いたように、現場環境の良し悪しによって、企業の生産性は大きく変わってきます。
わずかな小さな差を積み上げていけば累積的に大きな収益力の差が生まれます。
逆にいえば、「大きな差をつけたいのであれば、小さなことを積み重ねるしかない」のです。
■組織か個人か
チームスポーツには、組織のちからが大切です。
しかし、組織のちからを支えるのは、個人です。
個人の強さがあって、初めて、強い組織が可能になります。
しかし、組織のために、個人を犠牲にしたり、組織の論理を末端に押し付けたりするような企業は駄目です。
(やる気がそがれてしまうからです)
いま、個人が順当に報いられる組織が求められています。
しかし、組織がいくらがんばったとしても、特定の個人が必ず報いられるとは限りません。
(チームが勝っても、4打席でヒットなしということがあるのと同様に・・・)
結局、個人が自己の責任で、自分を磨くことが、自他共にその個人が報いられる最短距離なのです。
「組織は、個人の努力を邪魔しない、組織は個人のモーチベーションを下げない」、というだけです。
個人を大切に扱う組織は、よい組織になれる素地があるのです。
■基本動作は組織ではなく、個人に従属する
野球では、キャッチボールを最も重視します。
投げて受ける所作の中に、このスポーツの最も大切なことが凝縮されているからです。
(※野球は、投げ方=打ち方となっているスポーツなのです)。
野球に限らず、どんな競技でも、あるいは、どんなビジネスでも、基本の動作は、個人が努力して身につけなければなりません。
組織が個人の基本動作を肩代わりすることはできないのです。
今回のキーワードは「基本の大切さ」です。
やる気シリーズの第2弾では「余裕」の大切さ、第3回目では、「依存する甘え」の排除の仕方について書きました。
共通の目標を持った個人が、それぞれの役割をきっちり果たすのが「組織」です。
役割を果たすためには、個人に基本が備わっている必要があります。
基本ができていない個人がいくら集まっても、それは組織とはいえません。
■ちいさな基本の積み上げが、高みへと通じる
製品ひとつをとっても、その企業独自のこだわりがあります。
製品というものは、数百、数千という地道な製造プロセスを経て、付加価値をひとつひとつ積み上げていくものです。
一方、野球では、アウトをひとつづつ積み上げていきます。
ストライクをひとつづつ、積み上げていきます。
ひとつのアウト、ストライクの中に、プロの技が凝縮されているのです。
同様に、ひとつの作業プロセスの中に、企業の強みが凝縮されています。
メジャーリーガーのイチロー選手は、
「高く積み上げるためには、低い位置から一歩づつ始めなければならない」
という主旨のことを言っています。
ひとつひとつの基本作業は地道であり、ひとつのプロセスのひとつのちいさな地道な作業の中にこそ、プロとアマとの間には、雲泥の力量の差が発見できるものです。
その地道なちいさな基本過程を数万、数億と積み上げていく中で、最終的には、大きな差が生じてくるのです。
■アマはテクニックに走り、プロは基本を磨く
どの世界にも上手なアマは沢山います。
音楽の世界で、ドラムで、難しい技を繰り広げるのはアマテュアです。
プロは、技ではなく、ひとつひとつの音の意味にこだわります。
わたしは、4ビートの基本的なスネアドラムの音を聞いただけで、プロかアマかわかります。
アマは技にこだわり、プロは基本を磨きます。
アマのドラマーのほとんどは、もっとも基本的な動作のひとつである「たいこから出てくる」音量が不足しています。
また、アマは、音量が安定していません。
「ドン」「パン」というひとつの音に本物の質感がこもっているのがプロです。
中日ドラゴンズの落合監督は、「プロに大切なものは、スタミナ」であると論じ、選手に猛練習を課しています。
アマでは、基本的な体力が少々足りなくても、ごまかすことができます。
プロは、ダントツの体力がなければ、力を継続的に発揮することはできません。
今年のキャンプ時点での、日経新聞のスポーツ欄によれば、ノックによる守備練習では、「飛びついたり、横っ飛びになったりするプレーをしても評価されず、判断よく打球に回り込むこと、捕球後にスローインがしやすい体勢をつくることが評価されている」とありました。
プロは、派手で気持ちのよいプレーではなく、地味であっても、将来の大きなミスを事前に防ぐプレーが評価されるのです。
投資の世界では、アマテュアが華麗なテクニックを駆使して、素早い動きで、機動的な運用を見せます。
一方、プロの投資家には、華麗なテクニックなど、ありません。
基本に忠実に、製品の評価をして、数ヶ月間、長い場合では1−2年かけて、ひとつの製品を評価します。
基本に忠実に、地道なプロセスを経て、さらに、株価が、買いの目標に下がるまで、待ちます。
永遠に待つこともあります。(=買わないということ)
(購入して、何年間も保有することを目指すわけなので、華麗な投資技法などないのです)
■基本を会得するには長い年月がかかる
スポーツでは、頭では完全にわかっていたとしても、身体はイメージの通りに反応してくれません。
数学の問題では、解答を見れば、理解できる事柄でも、自分で実際に問題を解きはじめると、これでいいのかなと不安になったりします。
英単語を完璧に覚えていても、英会話では、十分に話すことができない場合もあります。
野球小僧の話を07年2月13日(やる気シリーズの初回のコラム)に書きました。
彼は、今、左打ちに取り組んでいます。
彼の計画では、3年後に、右と同じ感覚で、左で打てるようにするのだそうです。
(毎日練習していても、3年はかかるというのです!)
足の力も左右で違えば、その違いをバッターボックスで調整しなければなりません。
プロでない、アマ野球でも、強打者ともなれば、バットを振るその前段階の「立つ姿勢」に風格が漂います。
しっかりと基本から鍛えられた「立ち方」となっています。
野球小僧の場合、左打ちを始めて、3ヶ月になります。
が、軸足に重心をかける段階で、まだ微妙にぎこちないのだそうです。
さて、バットスイングは、軸足から軸足でない足への重心の移動スピードで初速が決まります。
軸足に体重をすべてのせてから、一気の変化で体重を前足に移動させるのです。
普段は利き足でない足を軸足にするため、ぶれたり、体重ののせ方が不十分になりがちです。
それが左打ちの難しいところなのです。
また、その重心移動を軸足以外の足(前足、左打者の場合は右足)で急にとめる「壁」つくることが、大切です。
重心の移動で生じた運動エネルギーは、壁で急にとめられることで、下半身で浪費されず、腰や肩へ、つまり、上半身に無駄なく伝えられます。
自動車で急ブレーキを踏んだとき、前のめりになりますが、同様のことです。
自動車の運動エネルギーが、自動車がブレーキを踏んだことで、乗っている人へと「無駄なく」受け継がれたため、前のめりになるからです。
ヒッティングでは、重心移動を急速にとめるための「壁」を足でつくります。
が、これが難しい。
アマの打者のほとんどは、「壁」が不十分です。
軸足から壁に高速で体重移動するときに、100メートルのスタートダッシュなみの移動がプロには求められます。
そのような極端な高速の体重移動を実現するには、普段からの体力強化や瞬発力の開発と毎日の基本動作の繰り返しが必要になります。
(キャッチボールもバッティングも体重移動と身体の使い方は同じです)
そのような基本動作は、何年も必死に努力して、ようやく身につけることができることなのです。
見かけ上では、大したことのない、単なるバッティングのステップをひとつとっただけでも、血の滲むような努力が要求されるのです。
(※基本的な動作は、投資にも同様に求められます。財務諸表が独創的に読めるようになるのに数年間はかかりますし、ひとつの業界を極めるのにも数年間はかかります。)
■どんな複雑な動作も単純な基本動作に分解できる
どんな複雑な動作も、作業も、仕事も、細かく分解すれば、基本動作に落とせます。
リストやラフマニノフの難曲であっても、ひとつの小節だけに切り取り、ゆっくりと弾けば、再現可能になります。
それらの基本動作にのせるための、仕事の分解作業は、ある意味、単調です。
しかし、短いひとつの小節だけの練習であれば、3−5分の空き時間でいつでも練習できます。
「細切れの時間を見つけては、基本動作を練習する」というのがプロなのです。
わたしの知り合いのプロのピアニストは、歩行者信号が赤の間の1分間に、楽曲1小節を右手左手でイメージトレーニングをしていました。
また、新幹線で東京から京都に行く間に、初めての楽曲を頭で整理して、小節ごとに「練習」していました。
京都につくころには、「ここにピアノがあれば、多分、もう弾ける」といっておりました。
このように、
「人生のすべての空き時間をひとつのことに費やしてしまおう」
というのがプロなのです。
「どんな複雑な仕事であっても、単純な基本動作に分解できる」のがプロとアマの違いです。
言い直せば、
「どんなに最終的な到達地点が遠くても、そこに至る必要なステップを順序良く並べられるのがプロ」なのではないでしょうか。
■到達点はないが、基本がなければ出発さえできない
基本動作が100あれば、その100の動作から無限の応用力が生まれます。
基本を習得することなく、人生に成功はありません。
わたしの人生の理想は、向上心、上手くなりたいという熱意をもちつづけ、ひとつのことだけをやり続けることです。
もっとも得意なこと、自信のあることだけをやり、それがゆえに、いつも楽しく、人生を謳歌する、というのが、理想です。
単調な繰り返しにすぎない基本の反復練習を、なぜ、プロが重視し、なぜ、アマが重視しないのか、よく考えてみるとよいでしょう。
陶芸家が、つくっては壊し、つくっては壊す。
その作業をはたからみれば、素人にはわからない境地でしょう。
しかし、基本の重要性を知るプロからみれば、そのつくっては壊す「繰り返し」こそが基本の反復として見えてくるものなのです。
基本の深さと大切さを理解して、単調な作業を真剣に精査し味わうのが、プロ。
スパン!という1つの音で聴衆を圧倒するドラマー。
足を振り下ろしたときに「ドン!」という地鳴りのする打者。
つくっては壊す陶芸家。
新幹線で音符をすべてさらう音楽家。
すべての時間を反復練習にささげたものたちの強さは、観る者を感動させます。
機転の速さや頭のよさで立ち回ることで、強くもなれないし、創造的にもなれません。
プロは、いくら高く上がっても到達点というものがありません。
いや、「いつまでも到達できない」世界への憧れが、彼らを今も未知の境地へと駆り立てるのでしょう。
到達できない世界へ1ミリでも近づくことが、人生の幸せであり、そういう類の幸せを、しばしば、実感できるのが、本物のプロフェッショナルではないのでしょうか。
基本を積み上げたとしても、到達点はありません。
しかし、基本を積み上げなかったとしたら、どこにも出発できないのです。
基本ができなければ、袋小路の閉塞感に押しつぶされてしまうのです。
■P.S プロとアマにこだわりすぎでしょうか?
なんの資源を持たない日本が世界有数の国力を謳歌できるのは、平均的な国民の学力・知力に拠るところが大きいと思っています。
現状の日本は、知力・学力にやや衰えが見れるとはいえ、財力や資金力といった「投資力」に必要な国家としての基礎体力は十分にあります。
「すべての職業はクリエイティブなものにできる」、
「すべての職業に、プロフェッショナルがいる」、という精神でこのコラムを執筆しました。
わたしは、この国のすべての人がプロ意識を持てば、日本は世界のお手本となり、21世紀のユートビアとなると考えています。
プロ、プロ、プロとこだわることに、違和感があるかと思いますが、何卒、お許しください。
わかりにくい例だったかもしれませんが、野球におけるバッティングの足のステップというひとつの単純な動作にさえ、驚くべきほどの労力と努力が注ぎ込まれているということを、伝えたかったのです。
とはいえ、わが身を振り返れば、
基本を大事に…といわれても、なかなかできないのが、わたしのような凡人です。
早寝早起きを基本としようとしても、ついつい夜更かしをしてしまいます。
節制が重要であるとわかっていても、深酒をしてしまいます。
百害あって一利なしの喫煙。
運用の仕事でストレスが溜まると、コンビニに深夜かけこんで、公園で一人、打ちひしがれて・・・スパスパスパなんてやっています。
そしてその次の日、買ったばかりのたばこのパックをもったいないと思いながら、ゴミ箱に捨てたり。
腹八分目がよいことがわかっていても、ついつい満腹になるまで食べてしまいます。
相手のために諭すように教えなければならないことでも、怒りにまかせて人をどなってしまったり・・・
言うが易く、ですね。
Enjoy Every Moment!
〜Slow Investment ゆっくり考え ゆったり投資 〜
山本 潤
■変わらぬメッセージ:長期の読者に感謝■
99年に始まった億の近道は、16000人程度の読者で成り立っています。
長期間購読を続けていただいた読者が多い、古い読者が多いことが特徴です。
このメルマガ(火曜日版)では、多くの株式投資メルマガにあるようなことは行いません。
つまり以下のことはやりません。
●手っ取り早い情報(証券会社の格付けの変更など)
●何を買うべきか
●投資指南
●お勧め銘柄
●マーケットをどうみているか
わたしたちは「タダなのにすごいことが書いてある」メルマガを志向しません。
また、編集に時間をかけることもできません。
わたしたちが伝えたいことは、
●日本が欧米に並ぶ金融大国になるために日本人がもっと学ぶべきこと
●若い世代がワーキングプアにならないためにすべきこと
●株式市場は手っ取り早く儲けようとする投資家を貧乏にするという教え
●株式市場はゆっくり考え賢明に投資するものに富をもたらすという教え
などです。
いわば投資の実務家としての哲学や歴史観・人生観です。
わたしたちが目指すのは、「ファンダメンタル分析」宗教の普及です。
<著者紹介>
億の近道に2000年3月に執筆を開始。
およそ7年間 毎週執筆してきました。
継続は力です!
昨年、念願の独立を果たす。
日本株ロングショートのヘッジファンドマネージャー。
(職歴)
1990−1997年
和光証券国際本部
(1990−1992年日本興業銀行外国為替部および国際資金部へ出向)
1997年−2005年
米系投資顧問クレイ フィンレイ インク ポートフォーリオマネージャー。
2006年1月より独立起業。
エイム インベストメントでファンドマネージャー。
(学歴)
コロンビア大学院 電気工学科 工学修士。
(六本木裏通りの人生大学 夜間部卒。専攻は夜間泥酔行動経済学)
(主な著書)
「インベストメント―米系バイサイド・アナリストの投資哲学と投資技法」(2001年イーフロンティア)
「投資家から「自立する」投資家へ」(2003年パンローリング)
「マンガ ファンダメンタルズ分析 入門の入門」(2004年パンローリング)
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)
2月にはコラムで集中して、「やる気」シリーズ(3回)を掲載しました。
やる気シリーズの過去のコラムは以下のURLでお読みになれます。
*第1回 なぜやる気が大事なのか。
*第2回 やる気がでないときはどうしたらよいのか(余裕の大切さ)
*第3回 なぜ甘えたくなるのか、なぜ甘えてはならないのか
今回は、やる気シリーズの第4回目です。
何事においても、基本が大切であるということ、
それはなぜなのかについて、なんらかの示唆をしたいと考えています。
■小さなことの積み重ねがわずかな差を生じる
前述やる気シリーズで書いたとおり、
「能力の差は2倍。やる気の差は100倍」です。
企業経営は、組織です。
機関投資家は、組織を評価し、「一流の組織」を「安い価格」で買おうとします。
企業における組織の力では、相撲やテニスのように、個の歴然とした力の差が直接、結果に結びつきません。
たとえば、相撲では、横綱が負けることは、15回に1−3回程度です。
個人の力量の差が勝率の差となり、横綱の勝率は80%以上となります。
個人対個人の競技では、個人間の歴然とした差が、そのまま勝敗に結びつきます。
一方で、チーム競技となれば、個人の力量の差というよりは、組織の差が成績に反映されます。
たとえば、プロ野球では、支配下選手70人、ベンチ入り25人、先発9人という人数です。
ペナントレースでは、年間の勝率55%程度でも、優勝する場合があります。
55%の勝率はたいしたことはありません。
しかし、それでも、優勝チームとそれ以外のチームの間には、その勝率が示す以上の差が存在します。
それらは、
*「どうしても勝つんだ」という意識の差であったり、
*必要な場面でミスなく進塁打を打てる打者がそろっているかどうかの差であったり、
*いつも準備ができているかの差であったりするでしょう。
結果としては、勝率の5%の差は、チーム競技である野球においては、毎試合のわずか一つの進塁打の差にすぎないのかもしれません。
(※進塁打の成功率の高いチームの勝率は高くなる)
その「わずか一つの進塁打」がほしい局面で打てるかどうかは、個人の基本的な資質に関わってきます。
(※野球においては、攻撃力とは、出塁率の高さと出塁後の進塁打の多さであり、守備力とは、四死球を出さない投手力やエラーをしないことです。)
■わずかな差の積み重ねが大きな差となる
さて、上場企業の場合、従業員数数百人から数万人までの人員を要するわけです。
「組織のちから」は、プロ野球ほどの勝率の差となっては現れません。
なぜなら、プロ野球の場合は、勝敗をあえてつけるレースですが、ビジネスでは、あきらかな勝敗がつくことはまれです。
しかし、それでも、高収益企業を調べてみてわかることは、高収益企業といわれる企業、たとえば、キーエンスなどは、
*景気のよいときも、悪いときも、
*いまもむかしも、
*どの事業でも、
例外なく、「いつも高収益」なのです。
高収益企業には、
「この事業は高収益だが、この事業は赤字である」ということがないのです。
セラミック製品以外には、たいしたビジネス領域をもっていないといったら、叱られますが、たとえば、京セラのアメーバー経営は、トップシェアではないビジネスの集まりであっても、一定以上の収益率を上げていることは、経営者の力量でしょう。
(ちょっと言い過ぎました。京セラは一流企業だと思います。しかし、「村田製作所などと比べると、京セラは差別化製品が少ない」という比較論です。)
HOYAは、複数のビジネスを営んでいますが、低収益といえるような製品はありません。
経営者が、なんらかの組織や経営に対するぶれない評価軸をもっていることの裏返しなのでしょう。
組織経営では、「基本」に忠実であることが、長期的な発展の基礎といえるでしょう。
やる気シリーズで描いたように、現場環境の良し悪しによって、企業の生産性は大きく変わってきます。
わずかな小さな差を積み上げていけば累積的に大きな収益力の差が生まれます。
逆にいえば、「大きな差をつけたいのであれば、小さなことを積み重ねるしかない」のです。
■組織か個人か
チームスポーツには、組織のちからが大切です。
しかし、組織のちからを支えるのは、個人です。
個人の強さがあって、初めて、強い組織が可能になります。
しかし、組織のために、個人を犠牲にしたり、組織の論理を末端に押し付けたりするような企業は駄目です。
(やる気がそがれてしまうからです)
いま、個人が順当に報いられる組織が求められています。
しかし、組織がいくらがんばったとしても、特定の個人が必ず報いられるとは限りません。
(チームが勝っても、4打席でヒットなしということがあるのと同様に・・・)
結局、個人が自己の責任で、自分を磨くことが、自他共にその個人が報いられる最短距離なのです。
「組織は、個人の努力を邪魔しない、組織は個人のモーチベーションを下げない」、というだけです。
個人を大切に扱う組織は、よい組織になれる素地があるのです。
■基本動作は組織ではなく、個人に従属する
野球では、キャッチボールを最も重視します。
投げて受ける所作の中に、このスポーツの最も大切なことが凝縮されているからです。
(※野球は、投げ方=打ち方となっているスポーツなのです)。
野球に限らず、どんな競技でも、あるいは、どんなビジネスでも、基本の動作は、個人が努力して身につけなければなりません。
組織が個人の基本動作を肩代わりすることはできないのです。
今回のキーワードは「基本の大切さ」です。
やる気シリーズの第2弾では「余裕」の大切さ、第3回目では、「依存する甘え」の排除の仕方について書きました。
共通の目標を持った個人が、それぞれの役割をきっちり果たすのが「組織」です。
役割を果たすためには、個人に基本が備わっている必要があります。
基本ができていない個人がいくら集まっても、それは組織とはいえません。
■ちいさな基本の積み上げが、高みへと通じる
製品ひとつをとっても、その企業独自のこだわりがあります。
製品というものは、数百、数千という地道な製造プロセスを経て、付加価値をひとつひとつ積み上げていくものです。
一方、野球では、アウトをひとつづつ積み上げていきます。
ストライクをひとつづつ、積み上げていきます。
ひとつのアウト、ストライクの中に、プロの技が凝縮されているのです。
同様に、ひとつの作業プロセスの中に、企業の強みが凝縮されています。
メジャーリーガーのイチロー選手は、
「高く積み上げるためには、低い位置から一歩づつ始めなければならない」
という主旨のことを言っています。
ひとつひとつの基本作業は地道であり、ひとつのプロセスのひとつのちいさな地道な作業の中にこそ、プロとアマとの間には、雲泥の力量の差が発見できるものです。
その地道なちいさな基本過程を数万、数億と積み上げていく中で、最終的には、大きな差が生じてくるのです。
■アマはテクニックに走り、プロは基本を磨く
どの世界にも上手なアマは沢山います。
音楽の世界で、ドラムで、難しい技を繰り広げるのはアマテュアです。
プロは、技ではなく、ひとつひとつの音の意味にこだわります。
わたしは、4ビートの基本的なスネアドラムの音を聞いただけで、プロかアマかわかります。
アマは技にこだわり、プロは基本を磨きます。
アマのドラマーのほとんどは、もっとも基本的な動作のひとつである「たいこから出てくる」音量が不足しています。
また、アマは、音量が安定していません。
「ドン」「パン」というひとつの音に本物の質感がこもっているのがプロです。
中日ドラゴンズの落合監督は、「プロに大切なものは、スタミナ」であると論じ、選手に猛練習を課しています。
アマでは、基本的な体力が少々足りなくても、ごまかすことができます。
プロは、ダントツの体力がなければ、力を継続的に発揮することはできません。
今年のキャンプ時点での、日経新聞のスポーツ欄によれば、ノックによる守備練習では、「飛びついたり、横っ飛びになったりするプレーをしても評価されず、判断よく打球に回り込むこと、捕球後にスローインがしやすい体勢をつくることが評価されている」とありました。
プロは、派手で気持ちのよいプレーではなく、地味であっても、将来の大きなミスを事前に防ぐプレーが評価されるのです。
投資の世界では、アマテュアが華麗なテクニックを駆使して、素早い動きで、機動的な運用を見せます。
一方、プロの投資家には、華麗なテクニックなど、ありません。
基本に忠実に、製品の評価をして、数ヶ月間、長い場合では1−2年かけて、ひとつの製品を評価します。
基本に忠実に、地道なプロセスを経て、さらに、株価が、買いの目標に下がるまで、待ちます。
永遠に待つこともあります。(=買わないということ)
(購入して、何年間も保有することを目指すわけなので、華麗な投資技法などないのです)
■基本を会得するには長い年月がかかる
スポーツでは、頭では完全にわかっていたとしても、身体はイメージの通りに反応してくれません。
数学の問題では、解答を見れば、理解できる事柄でも、自分で実際に問題を解きはじめると、これでいいのかなと不安になったりします。
英単語を完璧に覚えていても、英会話では、十分に話すことができない場合もあります。
野球小僧の話を07年2月13日(やる気シリーズの初回のコラム)に書きました。
彼は、今、左打ちに取り組んでいます。
彼の計画では、3年後に、右と同じ感覚で、左で打てるようにするのだそうです。
(毎日練習していても、3年はかかるというのです!)
足の力も左右で違えば、その違いをバッターボックスで調整しなければなりません。
プロでない、アマ野球でも、強打者ともなれば、バットを振るその前段階の「立つ姿勢」に風格が漂います。
しっかりと基本から鍛えられた「立ち方」となっています。
野球小僧の場合、左打ちを始めて、3ヶ月になります。
が、軸足に重心をかける段階で、まだ微妙にぎこちないのだそうです。
さて、バットスイングは、軸足から軸足でない足への重心の移動スピードで初速が決まります。
軸足に体重をすべてのせてから、一気の変化で体重を前足に移動させるのです。
普段は利き足でない足を軸足にするため、ぶれたり、体重ののせ方が不十分になりがちです。
それが左打ちの難しいところなのです。
また、その重心移動を軸足以外の足(前足、左打者の場合は右足)で急にとめる「壁」つくることが、大切です。
重心の移動で生じた運動エネルギーは、壁で急にとめられることで、下半身で浪費されず、腰や肩へ、つまり、上半身に無駄なく伝えられます。
自動車で急ブレーキを踏んだとき、前のめりになりますが、同様のことです。
自動車の運動エネルギーが、自動車がブレーキを踏んだことで、乗っている人へと「無駄なく」受け継がれたため、前のめりになるからです。
ヒッティングでは、重心移動を急速にとめるための「壁」を足でつくります。
が、これが難しい。
アマの打者のほとんどは、「壁」が不十分です。
軸足から壁に高速で体重移動するときに、100メートルのスタートダッシュなみの移動がプロには求められます。
そのような極端な高速の体重移動を実現するには、普段からの体力強化や瞬発力の開発と毎日の基本動作の繰り返しが必要になります。
(キャッチボールもバッティングも体重移動と身体の使い方は同じです)
そのような基本動作は、何年も必死に努力して、ようやく身につけることができることなのです。
見かけ上では、大したことのない、単なるバッティングのステップをひとつとっただけでも、血の滲むような努力が要求されるのです。
(※基本的な動作は、投資にも同様に求められます。財務諸表が独創的に読めるようになるのに数年間はかかりますし、ひとつの業界を極めるのにも数年間はかかります。)
■どんな複雑な動作も単純な基本動作に分解できる
どんな複雑な動作も、作業も、仕事も、細かく分解すれば、基本動作に落とせます。
リストやラフマニノフの難曲であっても、ひとつの小節だけに切り取り、ゆっくりと弾けば、再現可能になります。
それらの基本動作にのせるための、仕事の分解作業は、ある意味、単調です。
しかし、短いひとつの小節だけの練習であれば、3−5分の空き時間でいつでも練習できます。
「細切れの時間を見つけては、基本動作を練習する」というのがプロなのです。
わたしの知り合いのプロのピアニストは、歩行者信号が赤の間の1分間に、楽曲1小節を右手左手でイメージトレーニングをしていました。
また、新幹線で東京から京都に行く間に、初めての楽曲を頭で整理して、小節ごとに「練習」していました。
京都につくころには、「ここにピアノがあれば、多分、もう弾ける」といっておりました。
このように、
「人生のすべての空き時間をひとつのことに費やしてしまおう」
というのがプロなのです。
「どんな複雑な仕事であっても、単純な基本動作に分解できる」のがプロとアマの違いです。
言い直せば、
「どんなに最終的な到達地点が遠くても、そこに至る必要なステップを順序良く並べられるのがプロ」なのではないでしょうか。
■到達点はないが、基本がなければ出発さえできない
基本動作が100あれば、その100の動作から無限の応用力が生まれます。
基本を習得することなく、人生に成功はありません。
わたしの人生の理想は、向上心、上手くなりたいという熱意をもちつづけ、ひとつのことだけをやり続けることです。
もっとも得意なこと、自信のあることだけをやり、それがゆえに、いつも楽しく、人生を謳歌する、というのが、理想です。
単調な繰り返しにすぎない基本の反復練習を、なぜ、プロが重視し、なぜ、アマが重視しないのか、よく考えてみるとよいでしょう。
陶芸家が、つくっては壊し、つくっては壊す。
その作業をはたからみれば、素人にはわからない境地でしょう。
しかし、基本の重要性を知るプロからみれば、そのつくっては壊す「繰り返し」こそが基本の反復として見えてくるものなのです。
基本の深さと大切さを理解して、単調な作業を真剣に精査し味わうのが、プロ。
スパン!という1つの音で聴衆を圧倒するドラマー。
足を振り下ろしたときに「ドン!」という地鳴りのする打者。
つくっては壊す陶芸家。
新幹線で音符をすべてさらう音楽家。
すべての時間を反復練習にささげたものたちの強さは、観る者を感動させます。
機転の速さや頭のよさで立ち回ることで、強くもなれないし、創造的にもなれません。
プロは、いくら高く上がっても到達点というものがありません。
いや、「いつまでも到達できない」世界への憧れが、彼らを今も未知の境地へと駆り立てるのでしょう。
到達できない世界へ1ミリでも近づくことが、人生の幸せであり、そういう類の幸せを、しばしば、実感できるのが、本物のプロフェッショナルではないのでしょうか。
基本を積み上げたとしても、到達点はありません。
しかし、基本を積み上げなかったとしたら、どこにも出発できないのです。
基本ができなければ、袋小路の閉塞感に押しつぶされてしまうのです。
■P.S プロとアマにこだわりすぎでしょうか?
なんの資源を持たない日本が世界有数の国力を謳歌できるのは、平均的な国民の学力・知力に拠るところが大きいと思っています。
現状の日本は、知力・学力にやや衰えが見れるとはいえ、財力や資金力といった「投資力」に必要な国家としての基礎体力は十分にあります。
「すべての職業はクリエイティブなものにできる」、
「すべての職業に、プロフェッショナルがいる」、という精神でこのコラムを執筆しました。
わたしは、この国のすべての人がプロ意識を持てば、日本は世界のお手本となり、21世紀のユートビアとなると考えています。
プロ、プロ、プロとこだわることに、違和感があるかと思いますが、何卒、お許しください。
わかりにくい例だったかもしれませんが、野球におけるバッティングの足のステップというひとつの単純な動作にさえ、驚くべきほどの労力と努力が注ぎ込まれているということを、伝えたかったのです。
とはいえ、わが身を振り返れば、
基本を大事に…といわれても、なかなかできないのが、わたしのような凡人です。
早寝早起きを基本としようとしても、ついつい夜更かしをしてしまいます。
節制が重要であるとわかっていても、深酒をしてしまいます。
百害あって一利なしの喫煙。
運用の仕事でストレスが溜まると、コンビニに深夜かけこんで、公園で一人、打ちひしがれて・・・スパスパスパなんてやっています。
そしてその次の日、買ったばかりのたばこのパックをもったいないと思いながら、ゴミ箱に捨てたり。
腹八分目がよいことがわかっていても、ついつい満腹になるまで食べてしまいます。
相手のために諭すように教えなければならないことでも、怒りにまかせて人をどなってしまったり・・・
言うが易く、ですね。
Enjoy Every Moment!
〜Slow Investment ゆっくり考え ゆったり投資 〜
山本 潤
■変わらぬメッセージ:長期の読者に感謝■
99年に始まった億の近道は、16000人程度の読者で成り立っています。
長期間購読を続けていただいた読者が多い、古い読者が多いことが特徴です。
このメルマガ(火曜日版)では、多くの株式投資メルマガにあるようなことは行いません。
つまり以下のことはやりません。
●手っ取り早い情報(証券会社の格付けの変更など)
●何を買うべきか
●投資指南
●お勧め銘柄
●マーケットをどうみているか
わたしたちは「タダなのにすごいことが書いてある」メルマガを志向しません。
また、編集に時間をかけることもできません。
わたしたちが伝えたいことは、
●日本が欧米に並ぶ金融大国になるために日本人がもっと学ぶべきこと
●若い世代がワーキングプアにならないためにすべきこと
●株式市場は手っ取り早く儲けようとする投資家を貧乏にするという教え
●株式市場はゆっくり考え賢明に投資するものに富をもたらすという教え
などです。
いわば投資の実務家としての哲学や歴史観・人生観です。
わたしたちが目指すのは、「ファンダメンタル分析」宗教の普及です。
<著者紹介>
億の近道に2000年3月に執筆を開始。
およそ7年間 毎週執筆してきました。
継続は力です!
昨年、念願の独立を果たす。
日本株ロングショートのヘッジファンドマネージャー。
(職歴)
1990−1997年
和光証券国際本部
(1990−1992年日本興業銀行外国為替部および国際資金部へ出向)
1997年−2005年
米系投資顧問クレイ フィンレイ インク ポートフォーリオマネージャー。
2006年1月より独立起業。
エイム インベストメントでファンドマネージャー。
(学歴)
コロンビア大学院 電気工学科 工学修士。
(六本木裏通りの人生大学 夜間部卒。専攻は夜間泥酔行動経済学)
(主な著書)
「インベストメント―米系バイサイド・アナリストの投資哲学と投資技法」(2001年イーフロンティア)
「投資家から「自立する」投資家へ」(2003年パンローリング)
「マンガ ファンダメンタルズ分析 入門の入門」(2004年パンローリング)
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)

