<< 技術を評価できる個人投資家の養成講座season3(46) | main | 株式投資で人生を変える(40) >>

やる気とはなにか その3 〜時代の風となれ〜

やる気シリーズの第1回では、野球少年(天然野球小僧)の話をしました。
本気でやりたいことが見つかった者は、すすんで努力して、スキルを飛躍的に向上させます。

やる気シリーズ第2回(前回)では、そうはいっても、やる気のない者をやる気にさせるのは大変である点を少し掘り下げました。
馬を水のみ場に連れて行くことはできても、馬が水を飲むかどうかは別問題です。
勉強したくない子どもに、勉強を強制しても、勉強が嫌いになるだけです。

やる気のない人が、やる気が満ちるまで待つためには、どうしたらよいか。

本人に時間を与え、ゆっくり考えさせ、何かひとつのこと(=コア分野)を習熟させること。
上司は、周りからの批判を封じ込め、本人を信頼すること。
時間的な余裕、精神的な余裕の中から、短期の停滞を超えた、長期的な真の展望が芽生えてきます。

前回のキーワードは、「余裕」でした。
余裕こそが、やる気を再生産する源泉であると。(詳しくは前号を参照下さい)
余裕を保証する義務は、職場(上司)にあります。
「上司は社員に余裕を保証すべし」 − が示唆でした。

社員がやる気になれば、あとは簡単。
一度、やる気になった者には、誰も消すことができないパッションが生じ、文字通りの「水を得た魚」となります。

しかし、「社員を生かすも殺すも上司や職場の環境次第だ」といってしまえば、余裕が保証されていない現状の大多数の社員はどうしたらよいのでしょうか。

前回の主張のように、「雑務や残業をやめろ」、「余裕を取り戻そう」といっても、一方で、給料が減ったり、待遇や人事面で不利益を被ったのでは合いません。

今回、やる気シリーズを継続したのは、このことが、気になって、引っかかっているからです。

わたしたちは、どうすればよいのでしょうか?

プロフェッショナルではない人々、
恵まれない環境にある人、
たとえば、派遣社員やフリーターには、何をすればよいのでしょうか。
彼らには、どんな将来展望があるのでしょうか。

「恵まれない職場にある社員・派遣社員やフリーターはどうしたらよいのか」
をみなさんと一緒に考えていきたいのです。

■ 学習の意味

挫けそうになったときに、それを乗り越える精神力。
失敗したときに味わう挫折感。
しかし、その挫折を乗り越えようとするガッツ。
失敗の中から学び、再度、挑戦しようとする気持ち。

そんな精神力、ガッツ、気の持ちようは、学習経験のある者しか持ち得ないといえば、読者は驚かれるかもしれません。
基本的な学習能力が備わらない動物は、失敗から学び、挫折を乗り越えることはできません。

学習とは、論理の積み重ねです。
学習とは、事実をただ羅列して暗記するだけではありません。
物事を原理原則に基づいて整理する、推論する、結論づける。
「これとこれを合わせると、こうなる」という学習効果による自信・確信が、決断を促します。

「失敗から学ぶ」ということは、動物にはなかなかできないものです。

ストーブに近づけば、やけどするとわかった犬は、ストーブには二度と近づかないでしょう。
しかし、人間は、ストーブでやけどをしても、やけどをしないための所作を学びます。(悪いのはストーブではない。)

「学ぶということは、難関に挑戦する能力を磨く」ということなのです。

■ 中退する側の論理

世間では、長らく、学習は、偏差値の高い大学に行く手段でした。
よい大学に行き、一流企業に勤めれば、あとはエスカレータでした。

日本も変わりました。
バブル崩壊後の不況期に多感な時代をすごした世代は、その父親世代が、不況でリストラされてしまったことを重く受け止めました。

「手段としての勉強などしても、意味がない」。
大人も、子どもも、自信がなくなってしまいました。

フリーターの増加は、バブル崩壊後の不景気と就職氷河期も関わっています。
また、学歴に対して意味を見出せない若者たちが、学ぶことをやめて、高校を簡単に中退してしまう例が増加しました。
中退者の増加は、
「勉強しても仕方ない」、
「努力しても仕方ない」、
という厭世感がその背景になるのではないでしょうか。

手段として学習をとらえ、
「よい会社に入社して楽な人生を送る」という目的が達成できないから、
「勉強しても、しなくても同じ」というのが中退する側の論理です。
(同調できないまでも、理解はできます。)

■ ゆとり教育の履き違え

日本では、「ゆとり教育」が導入されました。
が、その結果、国語や算数といった主要科目の学習時間が削られました。

ゆとりの教育とは、算数の時間を削って遊ぶことではありません。

そうではなく、教員数を大幅に増加させることによって、1クラス10人、15人といった少人数クラスを実現することが本来の意味での「ゆとり」です。(異論噴出でしょうが、このことを今回議論するつもりはありません)

教員に数倍規模のゆとりを持たせ、まずは、教員が、余裕を取り戻し、精気を取り戻し、自学していく。
自分を高めた教員が、思いやりをもって、生徒に接する。
「ゆとり」は、生徒にも、教員にも、必要なものでした。

■ 少人数クラス

少人数教育ならば、こんなことも可能です。
たとえば、遊び時間に、「砂場の砂の数はいくつあるのか」に興味を持った子どもがいれば、考えさせる。
ひとつではない、幾通りもの解決策を思いつかせる行き届いた教育が可能になります。

「砂場の砂数を推論する」のは、算数と理科の複合です。
そうしたテーマに取り組んだ子どもにとっても、その解答の数も、解答への道筋さえも、砂の数ほどあります。

たとえば、砂数の推論には、「密度」、「比重」、「平均」、「分散」といった概念が導入されるでしょう。
また、それらの概念を自分で気づかせることができます。
たとえば、1ミリグラムの砂に何個の砂粒があるのかを知ることで、「密度」という新しい概念を生徒が自身で発見する。
そうなれば、その生徒は、「密度」という概念(そして発見時の感動)を一生、忘れようと思っても忘れることはできません。

■ 三度手間

今、日本の教育の質が問われているのは、落ちこぼれが大量生まれ、彼らが、高校生になって、分数を復習しなければならないことです。
そのような落ちこぼれを、一度、大量に出してしまえば、中学・高校教師がまたまた分数を教えなおすという「教育プロセスの2度手間、3度手間」が発生します。
工場の歩留まりや従業員の生産性を向上させなければ、企業は生き残れません。
同様に、学校においても、2度も3度も同じ手間をかけるぐらいであれば、徹底的に落ちこぼれを撲滅する少人数および習熟度別のプロセスを導入すべきなのです。

習熟度別かつ少人数の教育で、
勉強のやり方、
自学の仕方、
興味の持たせ方そのものを学ぶ制度が求められています。

出来合いのゲームやおもちゃでは、工夫は生まれません。
また、基礎学力の徹底も必要ですが、それだけでは、好奇心は育まれません。

■ いじめ根絶への切り札

いじめの問題が深刻です。
現場である学校や学校の教師の対応がいつも問題になります。
ひとりの教師が45人も40人もの生徒を一度に育てるというシステムでは、限界があります。
学校の対応や教師の資質を責めて、いじめ問題を矮小化してはなりません。
一クラスで10人であれば、座学ではなく、ひとりひとりとの対話形式の授業になります。
もちろん、クラス10人でも40人でも、いじめはなくならないでしょう。
生徒ひとりひとりにつぎ込まれる思いや時間が大きくなれば、いじめも沈静化するはずです。
いじめっ子たちのストレスが少人数クラスでは、緩和されるはずだからです。

少人数クラスは、余裕です。余裕がやる気を導きます。
(=前回のコラムの示唆)

■ 変化した昔話

昔の絵本は、勧善懲悪が徹底していました。
悪者は、死ぬか、殺されるか、でした。
今は、悪玉と善玉が最後に仲良くなって「めでたし」となります。

昔は、鬼が悪さをしたら、ぶっ殺した。
今は、鬼が悪さをしたら、鬼が謝って、仲良しになって、めでたしです。

小学校の運動会も、徒競走に順位をつけないという有様です。

■ 甘えの構造 − 共通するバックボーン

1)偏差値が高い大学に行っても、リストラになる。だから、勉強しても仕方ない。(高校中退の論理)
2)反復練習は無意味。学ぶ意味や意義を教える。(ゆとり教育の論理)
3)悪者であっても、話し合えばわかる。最後は、仲良しになれる。(今の絵本の論理)

これらの共通する項は、「甘え」といえましょう。

まず、勉強は、権利であって、義務ではありません。
挑戦する心を磨くのが、学習です。
学習は、手段ではなく、それ自体が目的となりうるものです。

反復練習か、応用問題か、ではなく、反復も応用もどちらも重要です。
もっともっともっと、反復練習も応用練習も、必要であり、それらは圧倒的に足りません。

■ 質量ともに圧倒的に足りない

たとえば、英語の学習においては、コミュニケーションが実務上できるレベル
は、TOEICなら満点ではないでしょうか。
700点、800点、900点は、あくまでも通過点で、満点をとることが、実務家であれば求められます。
そのためには、学校教育で習うような1000語や2000語といった語彙では、到底、不十分です。
10倍の語彙力がなければ、役に立つレベルとはいえません。

しかし、他の日本人との比較において、「何点ぐらいとれば偏差値が65」という低いレベルで落ち着いてしまう。

■ 本音だけでよい

絵本や徒競走においても、そこに、残酷さや冷徹さがあるから、それがゆえに、暖かさや感動も生まれるのです。

建前と本音とを区別する必要はありません。
絵本や競争は、すべて、本音で描かれるべきです。

■ 二者択一の偽り

「AかBか」ではないのです。
「AもBも」重要であり、
Aが足りないのは、Bのせいではなく、
Bが足りないのも、Aのせいではないのです。

父親世代がリストラされたことは、たしかに、「偏差値が高い大学に行っても、リストラされることはある」を意味します。

だからといって、「偏差値の高い大学に行っても仕方ない」を意味しません。
「偏差値が低ければ、たとえば、中退者ならば、真っ先にリストラされた」かもしれません。
また、大学へ行くことは、就職の手段ではありません。
自分にとっての、生きる目的を見出す大切な期間です。
学校は、甘えと決別し、挑戦できるだけの知力を養うところです。

■ 「甘え」とプロフェッショナル

大きくなって、いまだに親を暮らしていたり、経済的な自立を目指そうとしないのは、「甘え」です。

世間から、認められないのも、技能を磨いてこなかった報いです。

●甘えは論理を不明確にします。

●甘えは善悪、真偽をあいまいにします。

プロフェッショナルの対極が甘えん坊です。
甘えん坊では、プロフェッショナルには、到底、なれません。

■ 甘える側の論理(甘えは動物の本能)

どうやら、今回のコラムの示唆は、
「やる気を阻害するの要因のひとつは「甘え」だ」
ということになりそうです。

甘えとは、何でしょうか?
甘えの定義は難しいのですが、

甘えとは、
「しない」、
「できない」、
「やらない」ことへの現状追認の態度とでもいいましょうか。

「よい大学へ行かなかったから、よいところへ就職ができなかった」
「先生の教え方が下手だったため、テストでよい点がとれなかった」
「お母さんが7時に起こしてくれなかったから、学校に遅刻した」
「塾に行かせてくれないから、成績が上がらない」
「お金がないから、あきらめた」
「ずるい」

甘えとは、
「〜がないから、しない」
「〜があれば、やるのに」
「〜のせいで、できない」という思考です。

「まず、自分。他人は後から」なのです。
「面倒くさいのはいや」。

甘えの底流にある哲学は、
「楽して成果をあげたい」、「楽なままの状態を維持したい」です。

現状を追認するのは、自分がかわいいからです。
甘えとは、生物の持つ生存本能です。

面倒くさい、なにもしない、ぐーたらな状態は、エネルギー状態でいえば、「低」のレベルです。

水は高いところから低いところへ流れます。
エネルギー(生きるちから)も低いところで落ち着こうとします。
楽な状態を続けようとするのは、生物の属性でです。

年初から始まった、このコラムの教えは、
「楽して儲けようと思う投資家は貧乏になる」です。
(このコラムでは、一度、導いた結論を、必要であれば、何度でも何度でも繰り返します)
(「信用取引をやめよう」のシリーズでも、当たり前でありきたりの示唆を繰り返しました)

同様に、「楽して成果をあげたい」という人間は成果をあげることはできない、ともいえます。

「楽して得したい」という本能(=敵)は、学習(教育)によって克服するしかありません。

教育がなぜ重要であるか − 
むき出しの生存本能のまま、子どもが大きくなれば、たんなる大きな甘えん坊(=低エネルギー、低モーチベーション)になってしまいます。教育は、甘えん坊を大人にできます。
甘えん坊にやる気を持たせることが教育の主旨ではないでしょうか。

■ 甘えてはいけない訳 − フリーターのA君へのメッセージ

先週のコラムを読んで、メールをくれたA君。
28才男性のフリーターです。
わが社で、「無給でよいから働く機会がほしい」との懇願のメールでした。
しかし、弱肉強食のヘッジファンド業界にいま、彼の実力で、入ったとしても、わたしの足手まといになるだけです。
厳しいようですが、自分なりの努力をした後で、「出直して来い」と返信しました。
冷たいメールを送ったためでしょうか、わたし自身も気がめいりました。

フリーターのA君、君へのメッセージです。
(君を拒絶したわたしのメッセージを読んでくれるだろうか。)

さきほどのことです。
電車の中で、子どもが靴を履いたまま、座席に立って、車窓の外を見ていました。
お母さんが隣で、そわそわしながら、注意していました。
「靴を脱ごうね。こわーいおじさん(=わたしのこと)に怒られちゃうよー」
と。
こんな的を射ない注意の仕方ってあるでしょうか(笑)。
物事の本質を知らない大人を見るとつかれます。

「なぜ勉強するのか」
「なぜ甘えてはならないのか」
この問いかけに、君なら、どう答えますか?

甘えてはならない理由とは、なにか。

たとえば君が、「楽して成果をあげた」としましょう。
努力もしないで、何の対価も払わずに、大きな成果をあげたとしましょう。

そこに、どんな充実感があるでしょうか。
どんな感動があるでしょうか。
どんな達成感があるでしょうか。

楽して成果をあげたとして、そこに感動がなければ、その成果に何の意味があるのでしょうか。

積み木を背の高さよりも高く積み上げた子どもは、喜び、その成果を回りに報告します。
最初から積んである積み木に感動があるのか − ということなのです。

甘えるのは、楽です。
楽したいという気持ちは、自然です。
しかし、それでも、君には、甘えてほしくないのです。

甘えるな − なぜならば、
甘えれば、君は、真理から遠ざかってしまう。
甘えは、君を感動から遠ざける。
甘えは、君を本物からも遠ざけてしまうからです。

甘えていては、真の喜びを味わうことはできません。
甘えからは、感動も生まれません。

君が、
何の達成感もいらない、
何の充実感もいらない、
自分の人生に感動はいらないというなら、
今のまま、存分に、親に甘えてよいでしょう。
しかし、そうなれば、君の人生は、感動とは無縁になり、生涯、「本物だけが持つすごさ」に、ふれることさえ、できなくなるでしょう。

■ 氷河期を経験した意味

君は、就職活動をした時期が、たまたま不況期にあたり、希望した会社に入れなかった。

「甘えるな」という精神論は、手厳しく、不合理に響くでしょう。
大学卒業のとき、小説家になりたくて、フリーターになったきっかけは、そのきっかけは、今でも正しかった、とわたしは思う。
ただ、身体を壊してしまったり、
壁にぶつかって、
小説の勉強も、とうとう、やめてしまった。

28才になって、いま、いつ、どうやって、やりたいことを見出すか、を真剣に懸命に考えているのだと思う。

確かに、就職氷河期を経験した分、他人にやさしくなれるでしょう。
氷河期にも意味があった。

「だれもがプロになる必要なんてない」と君は、思うかもしれません。
しかし、わたしは、そうは思いません。
人生をかけてもよいと思えることをなんとか見出して、それにかけてほしいのです。
ひとつの分野にフォーカスをして、その分野の専門家になってほしいのです。

■プロフェッショナルとリーダーシップ

前向きさ、積極性、行動力といったリーダーの資質は、誰もにも最初から備わってはいません。
リーダーシップとは、現実を変えたいという思いです。
また、みんなをよい結果に導きたいという態度です。

リーダーシップは、世の中を少しだけ動かすことができます。

だまされたと思って、行動してください。
まずは、小さなプロジェクトでよいでしょう。
お世話になった親をサプライズ旅行につれていく、でもよい。
自身が立案し、計画し、リーダーシップをとる、小さな一歩を踏み出してほしい。

サークルや飲み友達とでもよいでしょう。
お別れ会、誕生日会、なんてよくないですか?
パーティを企画するのです。
場所、会費、びっくりの出し物、演出、ひとつひとつ、サブのリーダーを置いて、お互いがリーダーとして、ひとつのイベントを催してほしい。

それらイベントをまずやってみて、その結果、少しだけでもいい、
人生の充実感があってくれればなあと思います。

■ リーダーシップをシェアリングする

君のメールの中には、
「友達もフリーターですし、フリーターの友達のことも、なんとかしなくてはと思っている」とあった。

仲間とリーダーシップをシェアしてみてはどうでしょうか。
いくつかのプロジェクト、案件は、それぞれがやりたいことを決める。
みんなが仲間となり、リーダーを手伝う。
誰もが、ひとつのプロジェクトでは主役になるのです。

まずは、小さなプロジェクトの主役から始めてはどうだろうか。

日本のフリーター全員が、リーダーシップを学ぶ必要はない?
わたしはそうは思いません。

この国の教育水準は、落ちたとはいえ、それでも、尚、世界最高水準です。
今後ますます、日本には、世界を導くリーダーとしての役割が世界から求められています。

ベトナムでは、外資系に勤めても、1ヶ月で1万円の給料です。
君たち(フリーター諸君)は、1ヶ月で何万円ももらっています。

■リーダーシップとプロフェッショナリズム

リーダーシップとは、態度であり、君の思いひとつで、身に付くものです。
また、プロフェッショナルは、一瞬の態度ではなく、何十年と月日を積み重ねて深めていく「過程」のことです。
一瞬の態度を積み重ねてプロへの過程をつくってほしい。
君がメールで書いたように、株式投資に興味があるのであれば、まず、資格をとれ。
同時に、自分の頭で考えたレポートを月に1回、わたしに送ってみなさい。
3年間、毎月、忘れずに継続できるのであれば、君は、プロになれるだろう。

■ 時代の風となれ

世界では、何十億人という人たちが、文字が書けません。
文字が読める君たちは、情勢を分析する基盤があります。
文字が読めるために、自学もできます。

ベトナムと日本を比較するなんて、ずるいですか?
それにしては、君たちだって、随分といろいろな比較をしているじゃないですか。
先週の君からのメールにあったような
「派遣と正社員との差」、「男女の差」、「就職氷河期とそうではない世代との差」。「親の世代との差」。

ちいさな日本の中で、近所のおばさんから批評され、近所の同級生と比較され、君たちは、確かにかわいそうです。
(でも、君もわかっているように、それをいっても始まらないのです。)

「みんながリーダーである必要はない」、
「みんながプロフェッショナルになる必要はない」、
「企業の歯車も重要である」とわたしは思いません。
みんなに、プロフェッショナルになってほしい。
リーダーシップをもって、世界をリードしてもらいたい。
組織の歯車になんかなってほしくない。

日本人全員がリーダーになったって、世界が求めるリーダーの人材募集のキャパシティは埋まりません。
世界は大いなるリーダー不足なのです。

世界は、君たちを、前から、昔から、ずっとずっと必要としていたのです。
(数十億人が困っているのですから!)
君たちが気が付かなかっただけで。

数十万円で、学校で出来る、
数万円で、井戸が掘れる、
そんな世界が一方で、あります。
切実なニーズが数万円で実現できる場合だってあるのです。

資金力もプラニング力もあり、教育も十分に受けてきた君たちが、世界で大きな仕事ができないはずはありません。

企業もグローバルです。
世界は、そもそも、なんといっても、グローバル。

日本の若者が、世界でどれだけ大きな仕事ができるか、については、この変なおじさんが保証します。

本日、まず、小さな、一歩を踏み出してみたらどうだろうか。
これまでの甘えと決別し、世界のリーダーとしての一歩を。
甘えを捨て去った、リーダーとしての一歩は、現実を変える一歩です。
自分自身を変えるスーパーショットとなるのです。
遠くにある目指すべき目標(一流のプロフェッショナル)への第一歩です。

氷河期という貴重な体験をしてきた君たちは、きっと、時代の風になるでしょう。
そう、世界精神を体現する時代の風は、日本から吹く、とわたしは信じています。

A君、こういったからといって、無理してベトナムへ行く必要はないよ(笑)。
(君は貧乏なのだから、日本にいながら、お金がなくてもできることから考えよう)

■ まとめ

●やる気を阻害するのは甘えだ
●甘えは、生存本能であり自然な態度
●甘えは、論理や善悪や真偽を不明確にする
●甘えは、人間を真理や本物や感動から遠ざける
●甘えん坊はプロフェッショナルの対極
●リーダーシップを学べ − 小さなプロジェクトでよいから自分で企画立案し、実行せよ
●甘えと決別し、プロを目指せ
●日本の多くの若者がリーダーシップをとれば、日本は世界のリーダーになる
●個人のやる気が世界を変える
●楽して儲けたいという投資家は貧乏になる
●楽して成果をあげたとして、その成果になんの意味があろう
●楽して儲けても、大きな感動はない、充実感はない、達成感はない
●余裕のある職場と甘えない自己規律があれば、能力の差を越えて、プロになれる

Enjoy Every Moment!
〜Slow Investment ゆっくり考え ゆったり投資 〜
山本 潤

■変わらぬメッセージ:長期の読者に感謝■

99年に始まった億の近道は、16000人程度の読者で成り立っています。
長期間購読を続けていただいた読者が多い、古い読者が多いことが特徴です。

このメルマガ(火曜日版)では、多くの株式投資メルマガにあるようなことは行いません。
つまり以下のことはやりません。

●手っ取り早い情報(証券会社の格付けの変更など)
●何を買うべきか
●投資指南
●お勧め銘柄
●マーケットをどうみているか

わたしたちは「タダなのにすごいことが書いてある」メルマガを志向しません。
また、編集に時間をかけることもできません。

わたしたちが伝えたいことは、

●日本が欧米に並ぶ金融大国になるために日本人がもっと学ぶべきこと
●若い世代がワーキングプアにならないためにすべきこと
●株式市場は手っ取り早く儲けようとする投資家を貧乏にするという教え
●株式市場はゆっくり考え賢明に投資するものに富をもたらすという教え
などです。

いわば投資の実務家としての哲学や歴史観・人生観です。

わたしたちが目指すのは、「ファンダメンタル分析」宗教の普及です。

Enjoy Every Moment!
by 山本 潤 (やまもと じゅん)


<著者紹介>

億の近道に2000年3月に執筆を開始。
およそ7年間 毎週執筆してきました。
継続は力です!
昨年、念願の独立を果たす。
日本株ロングショートのヘッジファンドマネージャー。

(職歴)
1990−1997年
 和光証券国際本部
(1990−1992年日本興業銀行外国為替部および国際資金部へ出向)
1997年−2005年
 米系投資顧問クレイ フィンレイ インク ポートフォーリオマネージャー。
2006年1月より独立起業。
 エイム インベストメントでファンドマネージャー。
(学歴)
コロンビア大学院 電気工学科 工学修士。
(六本木裏通りの人生大学 夜間部卒。専攻は夜間泥酔行動経済学)
(主な著書)
 「インベストメント―米系バイサイド・アナリストの投資哲学と投資技法」(2001年イーフロンティア)
 「投資家から「自立する」投資家へ」(2003年パンローリング)
 「マンガ ファンダメンタルズ分析 入門の入門」(2004年パンローリング)

(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。)

calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28      
<< February 2010 >>
selected entries
オススメ書籍

「投資実践ノート」
億の近道火曜版に執筆している石川臨太郎氏の実践を継続することによる投資手法の確立をテーマにした本。
億の近道有料メルマガ!
火曜日執筆者の石川臨太郎氏の有料メルマガです。 大好評配信中! 購読者を大募集しています。詳細は以下のページを参照下さい。
  なお、この有料メールマガジンの売り上げの一部は億の近道の発行運営に活用 されます。皆様のお申し込みをお待ちしております。
categories
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM