知財セミナーにかける想い



 財務セミナーはすぐに定員が埋まるのに対して、数学教室や知財セミナーは人気が正直ありません。9月8日もまだ15名ほど定員に空きがあります。

 これはわたしたちのアピールの仕方が悪いからでしょう。

 つまり、「なぜ特許なの? 投資とどう関係があるの?」について、その重要性が伝わっていないからでしょう。


 特許分析は投資に必要不可欠です。

 わたしが特許を読むのは、それが企業の開発の現場の社員が直接書いたものですから、読めば多くの新しい情報が得られるからです。

 それらが投資に役立つ理由は、以下の通りです。

1)開発中心者が特定できるので取材内容が深くなる。開発者が特定できる。企業取材のときに、その方に会える。そして、その方に会えないときも、どんな方も取材することができる。

2)企業の提供する商品を深く理解することができる。特許に商品の新規性が書かれている。

3)企業の重点開発方針がわかる。企業が急いでとった技術を知ることができる。早期請求特許を読むことで時間が節約できる。

4)ビジネスモデルが理解できる。ブラックボックス化が好ましい企業かどうかを特許戦略から理解できる。

5)ライバルが特定できる。競合他社がJ−PlatPatの逆引きで特定できる。

6)共同出願などで仲間か敵かを特定できる。


 1)以外は、前回の特許セミナーでも行いました。pythonスクリプトを希望者には配布しています。

 そのスクリプトを実行するだけで、早期審査の状況、IPC技術領域における占有度合いなど、共同研究、ライバルなどが分析できます。(今回も希望者にすべて配布します)

 しかし、今回の知財セミナーは、それだけではないのです。

 わたしたちの真の狙いである、運用力の大幅な向上の仕組みつくりを担っているのです。


 知財セミナー9月8日の6時間コースですが、ぜひ、参加してください。
 かかった費用以上のことをお返しするように努力します。


[セミナー参加者への特権について]

===コミュニティの創設===

 知財コミュニティーの創出と意見交換の場をつくります。
 FaceBook上、あるいは、スレッドを作成できる掲示板か、検討中ですが知財・技術力評価のコミュニティをつくるのです。
 FBはログが流れてしまうので、掲示板になる公算が高いです。
 そこに、発明家の楠浦さん、知財専門家の村上さん、エンジニア出身の相川さん、そして、わたしが積極的に分析結果を公表していきます。

 そのコミュニティは永続化を目指します。
 つまり、これから、知財セミナーは4ヶ月間隔で開催予定です。
 テーマを医療機器やバイオなど、変えていく予定です。

 質問がある人は、質問をFBで投げる。それに対する知見をみんなで投稿し合うという仕組みをつくります。
 ここに全国の研究者、エンジニア、医療関係者、長期投資家を結集させていく計画です。

 コミュニティの価値を閉鎖環境で高めていく計画です。
 毎回、50人程度の定員に対して、半数はリピートをしていただけるのかなと考えております。

 というのも、今回は、ロボットですが、次回は医療機器やバイオなど、テーマを毎回変えていくからです。


===知財・技術力評価コミュニティへの定期的な情報フィードバック===

 リンクスリサーチや発明塾や村上さんの分析調査や取材内容について、コミュニティにフィードバックしていきます。
 一度、知財セミナーに参加した人は、FBのコミュニティの会員になります。
(希望者であれば)

 コミュニティは、技術評価を参考に、最終的には運用力の向上、他の運用との差別化を目標に運営します。
 運用とは、人がやらないものを中心にありとあらゆるものを持ち寄る作業です。

「この企業のこと、みなさん、どう思いますか?」という質問にもお答えします。知財面はこう。技術的にはこうと。

 ある企業については、「簡単な技術じゃないよ」という現役エンジニアの方からのフィードバックがあったりして、いまでも大変助かっています。
 なかなか、そういう機会は一般投資家の方々にはないと思います。参考になるはずですので、どしどしご質問ください。
(投資の成功への確信度合いが高まります)


===当日の疑問点、普段からの疑問点、質問にすべてお答えします===

 当日、参加者からの疑問点、質問については、持ち帰り、すべてお答えします。

 ぜひ、セミナーにご参加ください。あと15人程度、枠が空いております。



[当日のわたしのセミナー内容]


 わたしは、これからも、もっと運用がうまくなりたいと考えております。
 そのためには、よい仲間つくり、疑問をぶつけ合う環境づくりが大切になります。

 わたしの方からは、ブルーオーシャン戦略を知財面で勝ち取っている企業の例をいくつか提示する予定です。
 わたしの発表は短いですが、相川さん、村上さんが午前中。午後は楠浦さんの演習中心のセミナーとなります。


[リンクスリサーチを応援していただき、誠にありがとうございます]

 英国のマングループの日本株運用チームの仲間たちと会社をやめて1年1ヶ月が経過しました。
 わたしたちは、過去、20年に渡り、トレードの勝率8割を達成するだけではなく、リスクの1.5倍のリターンをあげるなどの、単位リスクあたりのリターンの最大化を目指してきました。
 しかしながら、まだ、われわれの運用は未熟です。
 わたしたちには運用力の向上の余地はまだまだ大きいと考えています。

 わたしたちの究極の目標は運用資産規模に応じない定額制の運用会社を作ることです。
 その定額料金の運用機関が世界で一番運用が上手いということになれば、金融業界は変わらざるを得ない。
 それを狙っています。

 準備は着実に進んでいるのですが、まずやならないければならないことがありました。

 自分たちの運用力を圧倒的に向上させることです。
 これが、わたしたちの絶対に譲れない優先順位なのです。

 株式運用では、ありとあらゆるものを総合して勝負をします。
 ありとあらゆるもののといっても、他人がみんなやっているものではなく、自分たちしかやっていないものをやる。
 そのために、全国の達人、全国の専門家とのネットワークを構築するために、個人投資家層を開拓することにしたのです。

 お医者さんもいれば、エンジニアもいる。個人投資家の方々の中には、非常に熱心に投資に取り組む専業投資家さんも多数いる。
 ネットワークをつくり、彼らと協業することで、新しい付加価値が生まれる、と確信しています。

 おかげさまで、この1年で、専業投資家のみなさんやエンジニアや医療関係者との素晴らしい出会いが数多くあります。
 情報量も情報の質も向上しているのは嬉しいことです。


 さて、運用でもっとも大切なことのひとつは、計量です。
 バリューを測る、売上を予測する、という作業です。
 そのために、big dataを扱えるようになる。エンジニアを採用して、python教室を開催するのは、計量化のためです。
 システム設計には、数学の枠組みや体系が役に立ちます。数学の勉強会はベクトル解析や統計確率を中心に行っています。
 理論的な土台がしっかりしていることが計量には重要なのです。

 売上予想について。これをわたしたちの差別化要因にしたい。
 売上とは、潜在的な社会の需要の可視化です。
 そこがわかっていないファンドマネジャーが多い。
 つまり、需要ではなく供給だけを見ている。
 供給は目に見えるが、膨大な潜在需要は目に見えない。
 それを見る訓練が必要です。

 社会に横たわる膨大な潜在需要の計測の技術が必要なのです。
 社会を部品に分解して、それを再構築するためには、理系領域の知識も必要となるのです。


[理系領域に踏み込むと少数派になる]

 わたしたちは、運用には理系領域の専門性が必要であるという立場です。
 化学や物理や数学などの基礎は必要だと思っています。
(アナリストは理系大学院の学位があったほうがよいと考えています。)

 運用している人々の8割がもし文系ならば、理系は2割。
 少数派の理系が運用では有利です。

 特許が読めるとどう運用が変わるか、それについて、もう少し書かないといけないと思うのですが、わたしたちが目指しているのは、みなさんへの良質な知財情報サービスの提供です。
 それを行うことで、自分たちの運用能力も上がるのです。

 発明塾の楠浦さんや工学博士の村上さんをアドバイザーとしてお迎えできるのは、みなさんにとっても、わたしたちにとっても、ラッキーなことなのです。
 ノウハウを他人に公開するからこそ、自分に技術の基本形や型が身につくものです。

 わたしたちは、方針として、これからも、わたしたちのノウハウはすべて公開していきます。

 そのことで、むしろ、自分の技術力を時間比例で向上させていく考えです。
 どんどん公開しても、必ず、一歩先を歩き、過去の自分に追いつかれないように、今日のわたしたちが頑張る必要があります。
 日々の努力を自らに強要することで自ら成長できると思っています。


 セミナーとは面白いものです。
 セミナー受講者さんも勉強になりますが、セミナー講師にとっても相当な勉強になるものなのです。
 セミナーとはwin−winなのです。


[わからないことに取り組むのはそれが差別化になるから]

 簡単に理解できるものばかりをやっていたのでは、人間進歩がありません。
 わからないものに取り組むのはストレスです。
 そのストレスを乗り越えて、わからないものを何回も読んでみることによって、人との差別化ができると思うのです。


 それでは、みなさま、楽しい投資のため、長期の投資力の向上ため、ぜひ、知財セミナーをご活用ください。

 ぜひ、セミナーにお越しください。
 よろしくお願いします。


リンクスリサーチ
山本 潤


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


このコラムはいかがでしたか?面白かった・役に立ったと思った方は
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クリックだけでも結構ですし、コメントをいただけるともっと嬉しいです!

山本潤氏の過去コラム → http://okuchika.jugem.jp/?cid=6


■山本潤コーディネイト「第2回知財情報活用セミナー」のご案内


 本年4月に開催された特許情報を投資に活用するためのセミナー、第2回目が開催されます。

 大好評だった前回の内容に加え、特許(知財)情報の整理や利用ツール、また具体的な企業を取り上げてのケーススタディなど、より詳細に踏み込んで演習も行いますので、参加者の皆さんが知財活用を実践できるような内容です。

 テーマはAI、ロボットです。

 ぜひご参加下さい!


【講師】

 山本潤氏(元ヘッジファンドアナリスト・特許活用投資のプロ)
 村上次郎氏(元大手メーカー研究者・特許先行調査業務従事中)
 楠浦 崇央氏(発明塾塾長)


【日時】

 9月8日(土)10:00〜16:00
※終了後、懇親会もあります。もちろん講師陣も参加します。


【場所】

 東京都・秋葉原


【参加費】

 20,000円(税込)

お申し込み・詳細はこちら

 https://peraichi.com/landing_pages/view/patent0908

主催:株式会社 リンクス リサーチ/TechnoProducer 株式会社



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トヨタにみる開発方針の大転換



 知財情報は貴重な一次情報だ。

 そして、検索エンジンは豊富に揃っている。

 ならば、投資家としてそれらを有効活用しないわけにはいかない。


 代表的な無料ツールとしてJ−PlatPatを前回のコラムで紹介した。

 今回は、水素燃料電池を開発のメインに掲げたトヨタのリチウム二次電池への開発の傾斜を公開された一次情報から確認していこうと思う。


 まず、IPC分類表から燃料電池(H01M8)と二次電池(H01M10)を確認。
 J−PlatPatの検索エンジンで上記IPCを指定。逆引きするだけだ。
 あとは、公開日を特定すればよい。
 前回のように内容までみなければ、3000件以内に絞る必要もなく、作業は一瞬で終わる。


−Toyota H01M8/00 燃料電池 特許公開の件数−

 2001−2005 1460件
 2006−2010 4800件 (ピーク)
 2011−2015 1505件
 2016−2018  571件
(2016年−2018年の公開件数は出願済みのものがこれから公開されるため、日を追う毎に増える事に注意。)


−Toyota H01M10/00 リチウム二次電池 特許公開の件数−

 2001−2005  571件
 2006−2010 1061件
 2011−2015 2086件
 2016−2018  903件
(2016年からの数字は直近2018年3月20日までの数字)


 上記の検索でわかるように、トヨタが明らかに燃料電池からリチウム二次電池に研究人員をシフトしている。



== 注目のトヨタ固体電池の特許公開の推移 ==


 市場の注目はトヨタの固体電池であろう。
 最近、右肩上がりで出願が増えている。
 2000年以降571件の公開が確認できる。

 二次電池の中の固体電池はH01M10/0562であるが、この数年、急速に公開件数が伸びている。

 逆にH01M10/0562固体電池のIPCで逆引きすると、同期間2100件程度の公開が確認できる。

 そうなると、トヨタはこのIPC H01M10/0562固体電池では公開特許の実に4分の1以上を抑えていることになる。


 ここでのライバル候補が以下の通り。

 まだ、内容については吟味していないが、住友電工(この5年間公開がない、諦めたか?)や出光(硫化物固体電解質、トヨタと共同出願している)などの意外な?名前が上がる。

 ただし、ライバル候補たちに3倍以上の件数の差をつけて圧倒していることがわかり、固体二次電池ではトヨタが権利化では先行しそうだな、と感触を持つことができる。
(トヨタ本体と共同出願などを合わせてグループで500件以上とっている)

 出光とトヨタとが共同出願している状況からは、トヨター出光を合わせ、さらに、住友がこの数年諦めている状況をみると、数字以上にトヨタが圧倒しているといえるのではないか。

 固体電解質が出光のように硫化物系になるのか、あるいは酸化物系、あるいはガラスセラミック系になるのか、注目されるところである。

 特開2016−081822などをみると、トヨタは固体電解質としては硫化物を主体にしながら、正極材はオハラと共同で出願。サイクル性向上のために正極材をガラス被覆するというものだ。こうなると、この三社は仲間内ではないかと疑わざるを得ない。



== 優先して読むもの ==


 投資家としてみるべき特許は、このH01M10/0562とH01M10/052の共通部分で、登録されたもの、出願と公開とが1年もないような出願してすぐに登録を行うとしたもの、を優先して読んでみると時間が節約できる。

 出光などのバリュー株がどんな特許を取っているかも参考にしてみるとよいだろう。
(これを書いた後に出光が中計を発表し、全固体電池について言及している。中計を見て、大多数の投資家は出光が固体電池の主要部材の供給者になりうることを知るのだろう。だが、わたしたちは、そんなことはもっと前にわかっていた。情報を正しく早く理解することは、投資においては、やはり、有利なのだ)


 これらは表面的なことであり、実際は、特許の請求項を読まなければならない。



== 具体的な固体電解質 ==


 これらは、トヨタの製造特許をみると網羅的に書いてある。
 本命はふたつかひとつにすでに絞られていると思うが、特許とは網羅的に書くものである。

 酸化物系非晶質固体電解質として、例えば、LiO2−B2O3−P2O5、Li2O−SiO2等を;

 硫化物系非晶質固体電解質として、例えば、Li2S−SiS2、LiI−Li2S−SiS2、LiI−Li2S−P2S5、LiI−Li2S−P2O5、LiI−Li3PO4−P2S5、Li2S−P2O5等を;

 ハロゲン系固体電解質として、例えば、LiI等を;

 結晶質酸化物又は酸窒化物系固体電解質として、例えば、Li3N、Li5La3Ta2O12、Li7La3Zr2O12、Li6BaLa2Ta2O12、Li3−PO(4−(3/2)w)Nw(wは0を超え1未満の数である)、Li3.6Si0.6P0.4O4等を;

 ガラスセラミックス系固体電解質として、例えば、Li7P3S11、Li3.25P0.75S4等を;

 硫化物系結晶質固体電解質として、例えば、Li3.24P0.24Ge0.76S4等を;

それぞれ挙げることができる。



== IPCやFタームについて ==


 特許庁に詳しい説明がある。

https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/kokusai_t/ipc8wk.htm

 エクセルベースでAからGまでIPC分類の参照がある。

 たとえば、H(=電気)を見てみると、以下のように分類されていて、H01M10が二次電池であり、そのサブクラスにリチウムイオン二次電池(H01M10/052)があることがわかる。



== IPC分類表に目を通そう! ==


 IPCやFタームを特許から見て、それをGoogleで検索する、というやり方でもよいのであるが、やはり、お勧めは、特許庁HPにはIPC分類表に、投資家ならば、ざっと目を通しておくべきだろう。

https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/kokusai_t/ipc8wk.htm

 そこには、検索がしやすいようにとの配慮からか、エクセルで分類ごとにファイルがある。直近の更新は2018年1月である。


 なお、 今回のコラムは以下のコラムの一部抜粋である。
https://double-growth.com/patent001/


リンクスリサーチ アナリスト 山本 潤


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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まぼろしの影を慕いて



== 連想ゲーム ==


 首相が退陣したら株価が下がるとか思っている人がいる。
 でも、相場はそんなに単純なものではないのです。

 株では、「風がふくと桶屋が」という連想ゲームは面白いものとされています。

 連想ゲーム。ちゃんと当たるのでしょうか。


 企業業績と内閣。
 地球と冥王星。
 太陽の黒点の位置重要。

 どれも重要なものかもしれないものでしょうか。

 それでも、なんでも株価に直接関係させる「ド」短期な思考がいま目につきますね。

 まるで世の中のすべてがダイレクトになんでも株価に影響するという考えの蔓延。

 そんな運用をしてしまっている機関投資家たちが増えて情けない。

 AIとかCTAとかロボット運用とか浅くて間違っている。

 なんでも株価に結びつけようとするから間違う。

 マイクロセカンドごとに判断を変えるわけだからねえ。

 そんな落ち着きのない人たちが相場の需給に影響をあたえています。
 機関投資家の存在は害悪になりつつあるのではないでしょうか。

 「連想力と想像力が豊すぎる」機関投資家にはうんざりしているのです。


== 他人の行動を予想する ==


 短絡的な反応が需給に影響するから、それを当てようとする人が出てくる。
 だから逆流、逆巻、解約、その前に自分だけは逃げよう!と連想が進む。

 他の機関投資家の動きを当てようとして、別の機関投資家が行動を起こす。

 そういうことを個人投資家まで真似をするからよくないわけですね。


== 長期投資 ==


 大局からいえば、長期投資の観点から、変化に強い柔軟な企業を買えば、
企業業績とマクロなんて「ド」短期じゃなければ無関係といってもいいのですが。

 まして、政治と配当はほぼ関係ない。
 もちろん、外部環境の変化に強いものを投資先として選ぶ必要はあるけど。

 たとえば、ドル円が360円から100円になっても、なぜ貿易黒字?
 日本、人口減、環境悪化、市場が飽和とか、でもなんでずっと増益なのですか??

 世の中はいつでも切実な潜在的な需要に溢れている。

 影にすぎない株価を追わない。
 実態価値、理論価値を信じて欲しいですね。


 日常生活を優先。
 企業実態が本物。

 それが証拠に、株価なんて毎日評価しない非上場企業が今日も元気に活動している。
 株価なんて別に必要なものじゃないですからね。

 企業の活動が社会への貢献になることは、企業にとって絶対に必要。
 そもそも、長期投資家というものは、社会にとって大切だと信じている企業をそもそも保有しているのです。

 そうでしたよね。


 わたしたちは、朝起きて活動し、夜寝る。
 その活動量が企業の実態のベースです。

 一方で株価は、どうしても売りたい人がいるから無理にでもついてしまうもの。
 株価は明日になればまた違う人が違う考えでつけていくだけ。

 企業の実態。その活動をみて、ぐんと伸びているならば、企業価値は向上している。
 その間は、ゆっくりとして欲しい。

 毎日、一喜一憂ではなくて、年に数回、チェックすればよい、みたいに。


== 個人の強み。セカンドプランを持つ ==


 それよりも、相場はたまに、大きく下げるとわかっているならば、大きく下げる期間中、下落の間に数回にわけて、しっかりと買えばそれで儲かるのでは。

 もちろん、投資に絶対はないから損をするかもしれないですよ。

 とくに個人投資家はそもそも解約がないから、そもそも余裕資金の運用なのだから、まったく急いで売る必要がないよね。

 それでも、不安ならば、余裕をもって運用すること。
 下落時のセカンドプラン、サードプランをもつことですかね。


 せっかく大局を見ているつもりになっても、結果として、デイトレードをしてしまう人がいるのは残念。。。。

 どうしても下落するのが不安になるなら、投資したということを忘れてしまうこと。


 10年20年、株価はみないで、放っておいて、楽しみはタイムカプセルにのせて、わすれてしまうことですね。
 そのうち、配当がたくさんやってきます。

 影にすぎない株価といえども、きっとその頃は数倍にはなっていますよ。


リンクス リサーチ アナリスト 山本 潤


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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特許検索J-PlatPat活用法



 4月21日に発明塾の楠浦さんと大手エレクトロニクス研究職だった村上博士を招き、5時間に渡る特許情報セミナーを行うことになった。


 わたしも今日、特許庁の特許検索無料サイトのJ-PlatPatで10分ほど遊んでみた。
 最近、J-PlatPatの検索ページが変わったため、python pandasの読み込み方までも変えなけれならなかったからだ。

 それはどうでもいいことだが、自分なりにトヨタの開発の状況を10分だけの短時間で調べてみた。


== 一次情報を読みこなす 特許情報から==


 全文は以下のURLをお読みください。
https://double-growth.com/patent001/


 投資においては、一次情報というものをわたしは重視している。

 一次情報とは、会社のHPからの情報、会社から出している出版物や研究発表など投資対象企業からの情報である。

 たとえば、特許情報は社員が書いているものであり会社が出願したものである。よって、特許も一次情報となる。

 もちろん、会社側に取材して得た情報についても直接会社から得たという意味で一次情報となる。

 このうち、特許についてのノウハウのひとつを提示したい。


 疑問を持ったら重要な一次情報である特許を読むのだ。
 必ず、重要な新しい発見が見つかるだろう。


 さて、トヨタ自動車のEV開発はどうなっているのだろうか。

 たとえば、トヨタが出願したもので、全文検索をかける。
(出願はトヨタ自動車と指定し、あとは全文検索とした。)

 わたしは、EVになったとき、個人的にブレーキの機構がどうなってしまうのかなと興味を持っていたので、「EV」とか「ブレーキ」とかのキーワードをつけて検索してみた。

 J-PlatPatの無料検索を使ってみた。

 ここがJ-PlatPatの難点だが、検索結果を3000件以内まで絞り込む必要がある。

 わたしは、2010年以降の登録した権利だけを検索した。
 2073件まで絞ってみた。


== 10分でできる分析 ==


 以下の分析は、たったの10分でできる。
 だから、やらないと損だ。

 だが、情報の整理は、3000件の特許情報なので、テキストでは10万行以上になる。
 エクセルでは遅すぎる。だが、python pandasなら一瞬だ。

(自慢に聞こえたら申し訳ないが、リンクスの主催するPython教室は定員の2倍の申し込み状況であり、そこでこうしたプログラミングツールも配るので、個人投資家の情報処理リテラシーは大幅に上昇し始めている。)

 さて、そうした上で、FIなどのタームで整理してみた。

 トヨタらしく、やはりB60KというFI(またはIPC)が多いことがわかる。このコードはHEVを指す。
 つまり、電動を主体としつつも内燃機関を補助にというトヨタの遊星歯車プリウスでおなじみのハイブリッドだ。IPCの分類をするだけでも、トヨタの戦略がよく現れていると思うのだ。

 大(ハイブリッドHEV)は小(EV)を兼ねるとはいうが、EVになればトヨタの強みが消されるのであろうか。
 こういう懸念?が一次情報を見るとわかる。

 まあ、実際には、特許の内容をよく吟味しなければならないのだが…。


 それでは他社はどうなのか。

 登録特許の数だけでは、2010年以降、トヨタ37000件に対して日産は11000件と確かに少ない。それでは日産とトヨタの年度ごと、あるいはFIの違いを見てみようかなとなる。


== トヨタは二次電池特許の割合が急増している==


 トヨタの直近の登録2700件を見ると、燃料電池関連のものがやはり多い。
 これもトヨタらしい。

 モータのコントロールに関するものも多い。
 ただし、決め打ちせず、多くの範囲をカバーしようとしている全方位の姿勢が見えた。


 だが、トヨタ。さすがである。

 この1年で公開された2700件を次に見た。
 すると、なんと、二次電池の分類H01M10がかなり増えていることがわかる。
 この1〜2年で相当、研究が加速していることがわかる。
(このように公知日、登録日、出願日別に検索可能であり、登録日の最近の2700件と公知日での最近の2700件では意味が全く違う。最新の動向は公知日にしなければわからない。。。)

 登録日での分類:まだトヨタ、ハイブリッド。
 出願日での分類:まだトヨタ、燃料電池に重きを置く。
 公知日での分類:二次電池(リチウムイオン電池等)にシフトしている。
という違いがある。


 日産は一方で、パワーアシストなどの特許が多かった。二次電池関連も多い。が、数が圧倒的にトヨタよりも少ない。


== 圧倒するトヨタの特許件数 ==


 トヨタがこの1年で数千件の公開があるのとくらべると日産のそれは数百件であり圧倒的に少ない。日産の特許の内容もgearingに関するものが多い。日産、二次電池では大丈夫なのか?という疑問も出てくるというわけだ。

 いずれにしても、この1年間のマーケットの二次電池関連への物色は研究のフォーカスからも裏付けられた、ということになる。



 このように一次情報から企業の将来の技術トレンドをたったの10分程度で整理することができる。


リンクス リサーチ アナリスト 山本 潤


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッ
セル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショ
ート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指して
いる。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


 山本潤コーディネイト「知財情報活用セミナー」
 日時:4月21日(土) 13時〜18時
 場所:東京都千代田区
 費用:20,000円(税込)

 詳細・お申し込みは以下のリンクをご覧下さい。

 https://peraichi.com/landing_pages/view/patent0421kjn

(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


このコラムはいかがでしたか?面白かった・役に立ったと思った方は
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見ていてごらん、今にわたしたちの時代がくる



−教育子育てコラム−


===ある兄弟の話===


弟は丁度100年前に生まれた。
中村兄弟の話だ。兄は徳郎という。弟は克郎という。
兄は戦争で死んだ。
弟は「きけ わたつみのこえ」(岩波)を編集した。

兄の徳郎は学徒出陣で戦地へ赴いた。
生きていれば日本初の仕事を多く成し遂げたに違いない逸材であった。

岩波の「きけわだつみのこえ」を読んだときのことだ。
徳郎が克郎に託したものがあることはその手記からわかった。

調べるうちに、克郎が兄の手記をもとにして
はるかなる山河に ー東大戦没学生の手記ー 」
を編集、のちに岩波の「きけわたつみのこえ」の編集者となったことを知った。

そのとき、「やっぱりな」という思いを持ったのだ。


===人柄に惚れて===


徳郎の手記を読んだとき、その人柄に惚れてしまった。
また、その考え方に深く共感してしまった。
70年の歳月を超えて、わたしには普遍的なもの、時代を超えたものに触れた感慨を持ったのであった。

中村兄弟の話を、息子に伝えたいと思ってこれを記す。
次男は、大学受験に失敗。挫折を味わった。
そんなとき、この兄弟の話をしてみたのだ。
徳郎については、時折、次男に話していた。
次男にとって、中村兄弟はすでに、身近な存在ではあったのだが。


=== 中村徳郎の考え方 ===


国は滅んでも偉人が人類に成した業績は滅ばない。
たとえば、ポーランドは滅び興りまた滅ぶという歴史を繰り返してきたが、
ショパンやキューリー夫人の功績は滅ばない。

自らがやろうとしていたのは人類への貢献であって、
それを通して日本へも貢献するというのが兄徳郎の考えであった。

人類の生活の根底を豊かに富ます機縁となるべき人材を育てることによって、
その民族の偉大さを価値付けようとしていた。
自己には絶えず厳しく、学問に身を捧げることで日本を含む世界に貢献するんだという強い気概を持っていた。


===徳郎の言葉===


また、出征の折に、彼は語った。

「ともかく早く教室へ帰って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります」

「自分がこれからしようとして居る仕事は、日本人の中には勿論やろうという者が一人もいないといってよい位の仕事なのです」

「その仕事をやり遂げることが、戦に勝って島を占領したり都市を占領したりすることよりもどれほど真に国威を輝かすことになるなるかしれない」

「自分を斯く進ましめたのは言うまでもなく辻村先生の存在があります。同時にモリス氏の力を除くことができません。氏は私に、真の人間たるものが、人類たるものが何をなすべきかという事を教えてくれました。又学問の何物たるかを教えられた様な気がします」

国家の決まりも、目先の勝敗も、大事だが、だが人として生きることも同時に大事である。
学問を志すならば、その業績は国家というよりも人類共通の遺産となる。

そう考えていたと私は思う。

多くがサラリーマンとして組織人の立場を意識しなければならない時代。
国家官僚においても、出世のためか、国家権力になびいてしまう。
人は追い込まれると弱いものだ。

だが、組織よりも、人格。人としての生き方を優先したい。
また、国家の利益を人類の利益の中で実現しようとした徳郎の思想に
わたしは深く共感をするしかなかった。


==徳郎の日誌 抜粋 ==


1943年2月20日

 学問が時世をリードすると言ふのでなくてはならぬ。
 然し現在では学問が時世にリードされて居る。

 一体どうしたのいふのだらう。寒心に堪へない。

1943年4月13日

 「目前の利益に捕らはれて、過去を鑑み歴史の重ずべきを識らず、前途を望み将来を夢見て、理想に憧るる事を識らず、永遠を思慕し、無窮を追求し、大局を洞察することを忘れるものは、個人も、時代も、国民も、危ないかな、危ないなだ。」
 (立沢先生)

1943年8月5日

 稲田兄の追悼録が送られた来た。一日これを読む。
 一人感慨無量なるものがある。
 市川の静養所に在った彼が、余命幾何もないのを知ってか知らずでか、
 「複素函数論」「仏蘭西語四週間」を読み、歌句をものしていたのを知っては深く我々の胸をえぐられるやうな気がした。

 我々は我々の最後まで自己に忠実でなければならぬ。
 最後まで我々の本分を放擲してはならない。

1944年3月5日

 人々の邪悪さと運命の酷薄さとの間にありながら善良であり、
 いつまでも善良であらねばならぬ。
 最も激しい逃走中にも温和であり、悪い人間にあっても善良えあり、
 戦いの最中にも平静でありたい。
  −中略−
 真理への思慕を喪って国家の隆昌はない。

1944年5月13日

 生かされているのはではない。生きるのだ。
 すべて待つがいい。


==ローリングストーンズ、転落する石(絶望の中に、それでも光を持て)==


「もっと勉強がしたかった」と手記に書いている中村徳郎は、
旧制一高の旅行部あるいは山岳部に在籍していて、
穂高東面の往時の山行を撮影した写真集もあり、
また北アの霞沢岳三本槍の初登攀をし、
ドイツ人登山家カールビルス氏の遭難救助した。

そのころ、東大理学部地理学科の辻村太郎(地理学者 1890−1983)教授と兄の徳郎は日本初のエレベスト登頂を目指す計画であった。
徳郎は、第一高校時代は、中国からの留学生と親交を深め、
来日していた英国人の登山家・探検家であるJohn Moris氏を敬愛していた。
(Moris氏は英国BBC放送の解説者であった)

徳郎は、日本というよりも日本を含む世界、
日本人というよりも日本人を含む人類を念頭に置いていた。
真理への思慕を持ち、ジョン・モリス氏から贈られた言葉、
Devote yourself to Science!
をいつも胸に秘めて軍隊生活を送った。

徳郎はずっと一兵卒であった。
なぜならば、第一高校時代、教練の授業をすべて欠席したからだ。
軍事教練の単位は落第。そのため、将校幹部にはなれない。
あえてそうしたのであった。

第一高校は、徳郎に卒業せずに軍事教練の単位のために一年の留年を勧めたが、
すでに徴兵令状が届いていた。
辻村教授が一高の安倍校長に掛け合い、一高所属ではなく、東大理学部地理科の学生として行かせたいとして、徳郎の卒業を認めさせたという。

東大理学部に入学したその日に軍隊に入ったので徳郎は入学式には行けなかったという。
徳郎は習志野の戦車部隊に配属されたのであったが、辻村教授の計らいで、
比較的安全な事務職である陸軍の気象班への移動を打診されるが、
「不正を働いてまで生きたくはない」
と徳郎はその話を断ってしまう。

その後、医師の父親が友人の習志野陸軍病院の院長を説得。
徳郎が病院を訪れるならその場で診断書を書く段取りを整える。
そして徳郎を除隊させるようとするが、肝心の徳郎が度重なる催促にも病院を訪れない。

「要はニセ診断書を書いてもらうということだろう?」
と、その話も断ってしまう。

徳郎は自分の命が惜しくなかったわけではない。
ただ、自分が不正を働くと、そのころは、特高警察や隣組制度など、
家族や親戚までが吊るし上げにあう社会であった。
「あの家族はみんなグルだ。非国民だ」といわれることがわかっていた。

そういう卑劣極まりない社会であった。
だから、徳郎も、わたしは病気です。
だから、除隊しますとは言えなかったのだ。

軍隊から徳郎が一旦帰省するタイミングがあった。
そのとき、父親は、徳郎を木刀で殴り
「戦争で海外で殺されるぐらいなら、俺がいま、ここでお前を殺す」
といって殴り続けたが、弟や母が止めに入った。
大怪我を負わせて診断書を書き、除隊させようとしたのであった。

そのときも徳郎は
「父さんが正しい」
といって黙って殴られ続けた。

徳郎は読書家であった。
特に、何度も繰り返し読んでいたもののひとつが「ドイツ戦没学生の手紙」(岩波書店)だ。
徳郎は書いている。

「彼らは真摯だ。塹壕の中で、蝋燭の灯の下で、バイブルを読み、ゲーテを読み、ワグネルに想いを寄せる彼らは幸福である。」
と。

徳郎の外地出征となる日が近づく。
一兵卒では電報も打てないので、学友の将校に頼み、実家に電報を代わりに打ってもらう。
その日、本所の実家は疎開で慌ただしく、弟の克郎が習志野に面会にいく。
そのとき、兄弟は1時間ほど話ができたという。
習志野の軍隊では、克郎は「面会日ではない」といって面会を拒絶されるが
「どうしても今会えないともう会えない」
といって必死で門番を説得した。

ちょっと待ってろ、と門番兵が言って、掛け合い、面談が許可されたという。
弟が面談室で待っていると兄がやってきて、
「おお、あーちゃんか」
と声をかけた。
あーちゃんとは赤ちゃんの意味で、
中村家では7歳年下の弟のことを「あーちゃん」といって可愛がった。

将校が見ていない隙を狙って、兄が上着のなかに隠してあったものを、
弟へと手渡した。
それは一冊のノート、徳郎の手記であった。

徳郎は
「これは、日本戦没学生の日記だ」
と言った。
克郎はすぐにこれが、「ドイツ戦没学生の手紙」の今度版だ、と思ったという。

兄は、弟に、「ドイツ戦没学生の手紙」を読むように勧めていたからだ。

克郎は
「兄さん、こんな戦争なんかで死んではダメだ。日本初のエベレスト登頂はどうするんだ?」
というと、兄は、こう答えたという。

「もう遅い。なぜ、あのとき、命がけで反対しなかったのだろう※。
 ローリングストーンズ(転落する石)だ。もう遅い。」

(※河合栄治郎事件。東大教授としてファシズム批判の論陣を張ったが、
  1938年河合のファッショ批判の書籍が発売禁止となる。
  そして翌年、東大から休職を命じられる。
  多くの学生がこれに抗議したが、河合を守ろうとしたものも同時に摘発されたことを見て、多くは命をがけて河合先生や学友を守ることができなかったことをさしていると思われる。)

日本はなし崩し的に治安維持法等が強化され、戦争に反対できない異常な国民管理体制へと自己強化されていった。
徳郎は「なんとかしなければ」と思い続けた一人であったが、
時流に飲まれどうすることもできなかった。

そして、次が最後の言葉となった。
「あ、そうそう、岩波文庫は全部買っておいてくれ」。

それは、徳郎が戦争から生きて帰ったら、そのときに読むから、
という意味にもとれたし、克郎、お前は岩波をちゃんと読め、
という意味にもとれたという。

出征には、カエサルのガリヤ戦記(岩波文庫)、フイヒテ・獨逸国民に告ぐ(同左)、ゲーテとシルレル往復書簡集。 Carossa Rumaenishces Tagebuch.、Mountain Essays、最近世界史年表、岩波全書数冊等を帯同した。

兄の徳郎は、弟が戦争で死なないために、弟には医学部へ行くように諭す。
文系はすぐに戦地だが、軍医はまだ死ぬ確率が低いと考えてのことだった。

弟は
「ペーペーの若い軍医は戦争の第一線に送られるからどうせ死んじゃうよ」
と兄に告げると、兄はこう答えた。
「それまでにこの戦争は終わっている」。

徳郎が徴兵された後になり、克郎に東大の医学部の教授から電話がある。
徳郎はその教授に弟が医科にいくようにと説得の電話してくれと頼んでいたのであった。
弟はその通りに、医学部へ進学する。

昭和19年。徳郎戦死。

そして、戦後、兄の手記を読み返した克郎は、これをぜひ出版したいと岩波文庫の吉野源三郎氏に相談する。

吉野氏はこれはいい、だが、分量が足りない、
他の戦没学生の手記も集めて出版しよう、
という話になったという。

ぜひ、岩波でという話でもなかったので、
克郎は東大自治会での戦没学生の手記の出版を提案した。

戦争へと学生を送った教授たちの主導ではなく、
自ら戦争に徴収された学生側からの出版にしなければ、
という思いだったという。

生協を中心にして、まず、戦没した東大学生たちの手記が集められたという。

そのようにして、「きけわたつみのこえ」は出版された。

戦後、徳郎の遺言通り、克郎は岩波文庫をすべて揃えた。
克郎に長男が生まれたが、名前を徳郎と名付けた。
塩山にある中村医院はいま平和文庫として甲州市に寄贈されている。


興味がある方は、
https://double-growth.com/kosodate_2018_3_11/
を読んでいただきたい。


徳郎を助けようとした家族の物語だ。


リンクス リサーチ アナリスト 山本 潤


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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杉江雅彦同志社大学名誉教授 インタビュー その2

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 リンクス リサーチという調査会社を旧ニュースミス投資顧問のアナリスト仲間と共に立ち上げました。
 わたしたちは10年以上一緒に証券調査をしてきた仲間であり、これから個人投資家向けに中長期成長株投資に役立つ仕事をしていきます。


 さて、今回は、インタビュー記事の続きです。


 M氏は同志社で株式理論を学びました。彼の師匠にあたる同志社大学名誉教授の杉江雅彦先生をお招きしました。わたしとM氏は1995年から親交があり、M氏はその頃から一貫して小型株に特化したリサーチを行っているベテランのアナリストです。

 今回は、特にM氏のご尽力により、奈良に御在住の杉江先生に上京していただきました。

 2017年10月18日 東京において、86歳の誕生日をお迎えになった杉江先生とM氏とわたしとで三時間にわたるインタビューを行った。事前に杉江先生からお手紙をいただき、M氏が、その膨大な内容をテキストスクリプトに起こしてくれました。

 Mさん、ありがとうございました。

 インタビューその1 → http://okuchika.net/?eid=7354


−−株式の価値についての実践的議論−−


・住之江先生の株式理論はその基礎をJ.B.ウイリアムスの「投資価値の理論」に求められるが、ウイリアムスは株式の投資価値とは「株主に対して支払われるべき配当の現在価値」であるとし、資本還元率(割引率)を特に重視している点が高く評価された。住之江先生は配当請求権で法律的にやっていた。理論構成がかっちりしていた。ずばずばおっしゃる人。

 副島保さんとの論争は、住之江先生は、「杉江くん、わたしが相手をするほどの相手ではないから、軽く君があしらっておけ」といわれ、杉江先生が反論を受け持った。

 5〜6年後「株の科学」を出した。
 売れる本、カッパブックスで。その前に「ゴルフの科学」が売れたから。
 そのころ「危ない会社」という本もヒットしてたが、書いた教授は危ない教授といわれたという逸話。

 住之江先生は、明治40年生まれ、酒は強くないが好きだった。
 北新地、高級であった、バーとかクラブの間にフジイ(宝塚出身のママ)というバーがある。結構高級。
 ひどいときはステテコになってうろうろした住之江先生。
 酔うとキスさせろとカウンターの隅まで追い詰めてママと遊んでいたという。

 研究会のあと。おい、一杯行くかと住之江先生が杉江先生を誘う。
 「ちょっと、新聞かってこい」と学生に新聞を買いに行かせて、住之江先生は株価蘭をみる。
 自分が持っているちゃんと株が上がっていることを確認すると、
「さて、行こう!」となったという逸話。
 京都の証券会社の外務員と売買していた。
 選びの方も専門家であった。

 住之江さん、テクニカル協会の会長。
 いまから10数年前に亡くなった。
 83歳でなくなれた。いい人だった。


 杉江先生の三人の恩師。

 住之江先生。

 同志社のゼミの先生であった長尾先生。

 大阪研究所の熊取谷先生。

 杉江先生は、証券研究所のときは、京阪電車で京都新聞にも書かれていた。
 アルバイトも新書。
 大学院の英語はWall Street、Financial Timesから。
 京大でも教えていたが、いけなくなったら、杉江先生が代打で教えにいっていたそうだ。
 京大での試験問題も杉江先生が実は裏で採点していた。熊取谷さんには、可愛がってもらった。速書きと。時代を先取るする感覚が彼にはあったそうだ。

 住之江先生の理論は、すばらしい。

 しかし問題もあった。
 例えば配当だけを株式の投資価値として捉え、内部留保を無視していること、
 投資家が株式を長期保有することを前提としていること、更には成長株は配当が無限大となるパラドックスもあることなどである。
 (長期投資を前提にしている)(成長株のパラドックス)利益そのものが価値であるという収益価値説もあった。


・ウイリアムスと同時代のベンジャミン グレアムはウイリアムスよりも現実的・実践的な株式投資の考え方を提起した。彼は証券会社で成功しそれで得た資金で資産運用会社を立ち上げ、配当+内部留保>>>収益の方に広げているのが新しい!!
 1927年からはコロンビア大学夜間部で証券分析を講義しそこで話した内容を中心に弟子のデービッド・ドットとの共著「証券分析」出版。運用会社をつくった。
 1934年 コロンビア大学 優秀であったのが、残れといわれたが、一度、証券会社行って来い、お客に儲けさせた。
 講義録をドット共著にした1934年大ヒット。その原本は同志社にはなかった。
 一橋大に原本があったので、複写機のない時代なので国立で手書きで大事なところだけを写した。つらかった。
 一橋大のキャンパスには、「射撃をするなかれ」と看板があった。
(一橋のキャンバスで学生が射撃で鳥や獣を撃っていた時代だ)


 「証券分析」が忽ち評判を呼び証券アナリスト試験の教科書として長い間使われた。
 グレアムの理論の特徴は株式の投資価値を配当だけでなく内部留保を含めた利益全体としたことで、そこに後の株価収益率(PER)の概念を取り入れた。
 また、後のPBR(株価資産率)のアイデアになり、会社の解散価値以下の株価の株式(これをグレアムは「葉巻の吸いさし」と呼んだ)を探すことを推奨した。
 株価収益率のPERの概念を示したことがひとつの大きい功績。
 割安株投資のバイブル。PBRの考えになる。
 証券アナリスト協会ができるきっかけになった。
 アナリスト全盛時代をつくってくるようになる。
 1970年であっても、グレアムドット本は売られていた。アナリスト試験のバイブルといわれていた。



− バフェットについて −


 グレアムのコロンビア大学の弟子。
 新聞の切り抜き。バフェット最近GEの株を売った。
 リーマンショック前にはGEを買っていたが、業績が伸びない。ダメだ。
 シンクロリファイナンス(Credit会社)だけは買った。
 1930−1940、大恐慌もう一回がくるとグレアムはいったが、バフェットは聞かずに買いまくった。
 1969年パートナーシップを解散。バークシャを買った。
 いまでも売買繰り返している。

 バフェットの哲学。長期。そのときの波を無視。
 会社の価値を貫く。FCFの大きさで見ていく。
 やや科学的になった。



−− インデックスファンドの登場とアナリスト無用論 −−


 米国は経済学者が株に興味を持つし、実証が好き。
 経済学者が株をどうみたかが面白かった。
 アダムスミス以来の新古典派。合理的自己的。合理的な決定。
 多数の人の参加。完全競争。情報の提供が早く拡散されている。情報格差がない。効率的市場説。efficient market Samiuson、ユージンファーマ(シカゴ大学)
 投資価値というものを巡るランダムな現象としてあらわれる。
 確率現象としてみる。メモリーがない。株価には記憶装置がない。
 9%のパフォーマンスになる、さるでもアナリストでも。
 市場平均がすべてだよ。マコービッツモデルもとんでもない。
 SP500インデックスで十分だ。伝統的な経済学の捉え方。
 1970年から。。。

 木村さんが中心になって、アナリスト協会 アナリスト試験
 CFAが落ち目だった。



− ランダムウォーク論の登場 −


 ところが経済成長が続き成長株が続々と生まれるとウイリアムスやグレアムのような方法で将来の株式価値を計算すると過大になったり、不確実になってしまう。
 計算上の価値は上昇しても毎日の株価は変動するため、平均株価とアナリストの予測とが乖離し市場平均に勝てなくなった。
 それならばアナリストが銘柄選定するファンドよりも平均株価採用銘柄を買った方が有利である。

 かくしていわゆるインデックスファンドが横行するようになった。

 これで証券アナリストは用なしである。

 しかし日本ではその頃から証券アナリスト制度が発足した。
 CMEシカゴ商品市場1982年SP500の先物上場。画期的なこと。
 20世紀最高の商品といわれた。

 ヘッジもできる。インデックス投資にもなる。
 インデックスファンドのきっかけとなった。

 一方、日本は、堂島の米価を試験上場していたが、本上場まで米先物をしたかったが、妨害される。

 農林水産省が認めない。
 米農家をあつめたJAは先物は投機だと反対。

 農林族がまったをかけた。

 シカゴのCMEについても、過去、玉ねぎの上場をとめたことがある。
 CBOT(シカゴボードオブトレード)ができてCMEにライバルが登場。
 革新的なCBOTにCMEは対抗できなかった。
 つまり、CMEはトライアンドエラーで迷走していた。
 1940年代に玉ねぎ上場をCMEが上場。そのとき、少数商品トレーダーが玉ねぎを買いまくってしまい暴騰。暴騰後に、農家が儲かるからと参入。
 だが、実際は暴落して、実業の農家がダブルで損をしてしまう。
 連邦議会に農家が先物はひどいと提訴。
 これは、先物自体が悪いのではなくて、監視の問題である。

 CMEのシステムがまだダメだ。市場管理をするようになった。
 CMEのメラメドさん、CMEの中興の祖といわれる面白いアイデアマンだ。

 新しい商品1972年
 ニクソンショックのあとに、固定相場から変動相場に変わる時期。為替を先物で、というアイデアを考え出した。
 メラメドさんが、ミルトン フリードマン(シカゴ学派マネタリズム)に相談。
 フリードマンは「為替の先物??それはgreat ideaだ!」とメラメドにいったそうだ。
 為替の市場先物は世界にない画期的なことだったからだ。
 でも、相談料としてフリードマンさんはメラメドさんに
 「相談料金5000ドルくれ、俺は資本主義者だからな!」
といった逸話がある。これが、10年後のSP500先物上場につながった。
 いま、CBOTはCMEの傘下となっている。



−−−インデックスファンド時代−−−


セイラー(ノーベル経済学今年)

ランダムウォーク(証券辞典 酔歩の理論)

 情報画一的にながされる。同じような行動にでる。
 そもそもランダムならば、売買が成立するはずがない。
 人間というものは、合理的じゃないからだ、という仮説。
 おかしな決定をする。心理学の先生が考えた。

ダニエル カーニマン(1934年−)。

エイモス トベルスキー(1937−1996) (両者ともイスラエル)。

 プロスペクト理論を1979年発表。

 人間は合理的ではない。行動経済学の草分だ。

 ギャンブルを研究。
 ギャンブルというものは合理的な人間はそもそもやらない。
 合理的ならやめる局面で、なお、すべての有り金をつっこんでしまう。
 これは経済学では説明できない。


 2002年にカーネマンはノーベル賞を受賞。

 今年のノーベル賞はリチャード セイラー。

 彼は前述のふたりと仲がよかった。二人は心理学者。セイラーは経済学者。
 1979年三人であって仲良くなった。
 セイラーは経済学者であったが心理学がわからない。
 逆に二人は経済学を知らない。お互いに教えあった。
 三人が仲良く研究を続けた。


 杉江先生の後悔は行動経済学をもう少し勉強すればよかった、というものだ。

 セイラーは、むしろ政策論、401Kの年金をいかにして増やすかに興味があったようだ。
 納税者を増やすための論文。
 キャメロン首相に納税率を高める仕事を手伝った。
 社会行動や社会政策に関心があった。



−− 投機と商品先物に関心が移る −−


 「投機と先物取引の理論」で杉江先生はドクターの学位をとる。

 商品については住之江先生は興味なかった。
 杉江先生は一服したので、投資と投機はどうなのか、を考えたくなった。
 投機は悪ではないということを示したかった。


・長い間株式市場を中心に研究を続けるうちに特に投機に関心を寄せるようになった。

 1970年だったか商品先物業界トップ企業のオーナーからマレーシアのクアラルンプールでの国際セミナーで日本代表としてスピーチするよう依頼があり、それが杉江先生の商品先物業界との出会いの始まりになった。

 当時の商品先物取引員会社1950年〜1960年代の証券会社とよく似ていて経営は前近代的だが、営業マンは積極的に顧客を獲得する状態で、経営アドバイスを頼まれた。
 商品の場合は、期日がある。清算する。
 商品業界は勉強しない。
 それで先生は「なっとらん!」「勉強しない!」と怒ってばかりいたそうだ。
 商品先物業界のレベルはかなりまずかった。


・学術研究の対象としての投機については江戸時代初期から始まった。

 コメの先物取引のシステムが明治以降は国債や株式にも適用されて先物取引を行っていたことを中心に研究し「投機と先物取引の理論」と言う著作に集大成した。

 また、その間各地の商品先物取引所の新規上場商品策定にも参画した。
 1730年徳川吉宗の時代に大阪堂島に帳合米取引が公認される。
 17世紀後半から米の先物は事実上あった。
 幕府のスタンスはだが絶対禁止であった。
 ずっと禁止令が出ていたが、効果はなく、黙認されていた。
 それを仕切っていたのが淀屋(米問屋)だった。淀屋は経済界のドンだった。

 幕府の見解は以下の通り。

1.存在しないものを売買することが理解できない。倫理的にいけない。
2.先物は値段がかならず上がってしまう。米が上がったら、庶民が困るだろう。

 だから先物はダメだ。

 でも、米の生産量は技術革新もあり上がっていった。

 新田開発もあった。
 一方、飢饉も多かった。
 結果として、米価は乱高下。

 幕府や大名が米の値段が下がると税金が米なので、生活に困ってしまう。
 そこで、大名の生活を維持するために、米価を上げたいと日和った。

 それで、幕府は先物を認めた。
 先物を認めたら、米価が絶対に上がると幕府は思っていたのだ。

 アホである。幕府はまったくの無知であった。
 相場を上げたいために、先物を導入したのだから。

 無知の政策。めちゃくちゃ。
 経済がわかっていないから、うまくいかなかった。

 明治維新でストップしたが、近代的にして米取引所をつくった。
 東京株式取引所ができた。明治11年。ロンドンにもニューヨークにもある。
 株式がない。株式会社がなかったからだ。
 でも、国債はその頃もあった。
 Stock Exchangeだが、国債先物市場だった。
 明治15年から株式会社上場。これらも先物だった。
 第二次世界大戦の昭和17〜18年が日本の市場は閉鎖された。

 理由は、株価は真実を語るので、どんどん株価が下がるから。
 日本が負けていることは、株価を見れば一目瞭然となるから、
 当局は閉鎖するしかなかった。

 昭和24年から証券取引再開。
 だが、このときはGHQが米国の証券制度を決めた。

 株式先物はやらないことを決めた。

 だが、日本の証券の歴史は先物の歴史だった。
 投機は合理的な経済行動でもある。



−−− 杉江先生、国債の先物取引市場創設へ貢献する −−−


・1965年から始まった国債発行により大手都銀を中心にその大部分が買い取られたが価格変動リスクを吸収するには先物市場が欠かせない。

 ところが旧大蔵省は先物取引を嫌うDNAを持っていて小生を含む学者による研究会を通じて創設を求めても乗ってこない。
 その頃、前述の拙著1984年が同省幹部(課長 課長補佐)の間で相当読まれたらしく、折からアメリカ側からの圧力もあって国債の先物市場創設が実現した。小生の研究も少しはそれに貢献したと自負している。

 S40不況。初めて日本は赤字国債を発行。

 1975年から国債発行高増える。日本は低成長になってしまった。
 国債は大手銀行が大量に買っていた。というよりも、「買わされて」いた。

 銀行にとって、国債の値下がりリスクは大きかった。

 そのヘッジ手段がない。銀行のALMができない。
 シカゴのCBOTが「日本の国債を先物を上場する」といいだした。
 日本に先物市場がないため、このままだと米国に日本国債の主導権が渡ってしまう。
 そうなって、初めて、日本の当局は動いた。
 シカゴがやるならば、大丈夫そうだから、日本もやるかという話に急になってしまう。


 先生は国家から勲章をいただいたが、この日本国債先物創設に尽力したことが評価されたとのこと。叙勲5年前。
 理由は、具体的に文科省が同志社大学にチェックをする形になった。

 杉江先生の功績は日本で投機と考えれていた国債先物市場を設立したという功績である。



− 投機は悪だ 当局の考え −


 S53 1978年 シカゴ大学に夏から客員研究員でいった。
 結果としては冬が寒すぎた。寒すぎて住めない。

 証券価格研究センターというものがシカゴ大学に設置されていた。
 学部長はジェームス・ローリー。
 割り当てで二時間コンピューターを使わせてもらった。
 そのころコンピュータを使う時間は貴重であった。割当制であった。

 ジェームズに
「日本の官僚や行政は投機を嫌う。国債の先物取引が日本ではできない」
と話した。ジェームスはものすごく興奮して怒っていた。
「投機は合理的な経済行動だ!!!」と。

 日本の官僚はオプションの売買の方が先物よりも日本の行政の理解は高かった。先物は実態がない、投機は悪であるという考えは日本の当局には根強い。



−−−いま(2017年10月時点)の株式市場について−−−


 国債市場ゆがんでいる。日銀が買いすぎてる。おかしくなった。

 GPIFによって株式市場もゆがんでいる。かたよって買いすぎている。
 フリーな競争市場ではない。
 産業構造が随分かわってきた。
 銘柄に対する収益ではなく、株を先物みたいに買っている。

 ちょっとこわい。

 米国も上値を追う展開。
 流動性、米国が上がっている。経済の状況がよい。
 トランプ政権の政策がわからないのに買う。


(おわり)


リンクス リサーチ 日本株調査部 アナリスト 山本 潤


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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杉江雅彦同志社大学名誉教授 インタビュー その1

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 リンクス リサーチという調査会社を旧ニュースミス投資顧問のアナリスト仲間と共に立ち上げました。
 わたしたちは10年以上一緒に証券調査をしてきた仲間であり、これから個人投資家向けに中長期成長株投資に役立つ仕事をしていきます。


 さて、今回は、インタビュー記事です。


 M氏は同志社で株式理論を学びました。彼の師匠にあたる同志社大学名誉教授の杉江雅彦先生をお招きしました。わたしとM氏は1995年から親交があり、M氏はその頃から一貫して小型株に特化したリサーチを行っているベテランのアナリストです。

 今回は、特にM氏のご尽力により、奈良に御在住の杉江先生に上京していただきました。

 2017年10月18日 東京において、86歳の誕生日をお迎えになった杉江先生とM氏とわたしとで三時間にわたるインタビューを行った。事前に杉江先生からお手紙をいただき、M氏が、その膨大な内容をテキストスクリプトに起こしてくれました。

 Mさん、ありがとうございました。



−−− なぜ、いま、杉江雅彦なのか? −−−


 わたしが、杉江先生にどうしても会いたかった理由は、いくつかあります。

 先生が投資価値の本を出版された1960−1970年代には実務的に不可能であった個別銘柄間の共分散がいま、個人投資家のPCで一瞬で計算できるようになったため。

 また、わたしはPERやPBRという指標よりも、投資家にとってのフリーキャッシュフローである配当をベースにした配当割引モデル(2−3段階)を実務上使用すべきという立場を明確にしている。DDMについての成長バラドックスをわたしなりの工夫で解決した件を先生に聞いていただき、感想をいただくというのが目的のひとつであった。

 さらに、先生は86歳とご高齢であるため、先生の金融市場における功績を書き留めたいという思いもあった。先生の先生にあたる住之江佐一郎というDDMの日本における大家のこともお聞きしたかった。

 日本株投資家の間では、高成長でありながらも実は低リスクである銘柄群が存在することはあまり知られていない。
 だが、杉江先生が学位論文で取り上げられたマコービッツ理論はいま復活させる時期が到来したとわたしは考えている。
 低リスク高成長銘柄群の中から数銘柄の最小分散ポートを提供していくというのが、わたしの今後の目標のひとつである。

 それが簡単にできる時代になったこと、個別株のリスクプレミアムを具体的に計算できる時代になりつつあることから、いま、歴史を振り返り、なぜマコービッツ理論が忘れ去れてたか、についても読者は関心をもって読んでほしい。



−−− 住之江先生の功績  DDMの日本への移植 −−−


 日本でDDM(配当割引モデル)といえば、住之江佐一郎だが、彼のDDMを私自身がバリエーションとして少し改良したものを使っていたので、杉江先生に、成長のパラドックスを避ける工夫について、わたしの方からご説明を申し上げたが、杉江先生は、「なるほど、そりゃ、うまいこと考えましたね」といわれたので、素直にわたしは嬉しかった。それだけでわたしの目的のひとつは達成されたというわけだ。よかった、よかった。

 もうすでに先生の先生である住之江先生は故人ではあるが、住之江先生も日本の証券史に大きな足跡を残した人だ。
 なにせ、明治元年からオイルショックまでの証券関連の書籍の目録つくりをライフワークにしていた学者だ。
 その志を継ぐべく、オイルショック以降の証券関連書籍を整理する大事業をライフワークにしたいなと思っていた。

 住之江先生の弟子ともいうべき杉江先生へのインタビューはわたしの強い要望でやっと叶ったのであった。
 杉江先生の数々の書籍を巡って、いろいろな思い出を聞きつつも、先生の60年にわたる証券業界への貢献の足跡を残したいという思いから、メモを必死にとりました。



−−−杉江先生学部時代の思い出−−−


 同志社の学部時代の思い出について。
 今と違い、学生に、「会社訪問なかった」。「就職は教授の推薦か縁故かしかなかった」

 成績順で選ぶのが推薦だが、先生の成績はそれほどではなかった。
 縁故もない。

 それゆえに一般試験で、倍率数百倍の新聞記者に応募した。
 1000〜2000人が受ける神戸新聞記者の一般試験。
 ところが、これに合格してしまう。

 ゼミの恩師の先輩が神戸新聞の社長で、その社長がわざわざ京都の先生の実家に来られた。
 そのとき杉江先生は留守。先生の両親が対応したのだが、親が勝手に就職を断ってしまう。
 親の方針は、「新聞記者と船乗りにはなるな」であった。

 恩師は一橋出身の長尾義三同志社大学教授であった。

 長尾先生は、同志社では学生から不人気であった。
 金融論だったが、なにせ、すべて落第させてしまうほどの厳しい先生だった。
 ゼミは少ない人数、たったの8人しかいなかった。
 だがよかった。
 経済学はマルクスではなくて、ミクロ経済から始めたからだ。
 「世にも不思議な金融論」であり、かなり抽象的なテキストをつかった。
 実際、何が書かれているか、理解できないほどだった。

 大学院も長尾先生のゼミだった。
 だが、杉江青年は同志社大学に残る道は閉ざされてしまった。
 先輩(2年上)が金融論の助手ポストに採用されてしまったからだ。

 杉江先生のいくポストは同志社ではなくなってしまった。
 大学院に行く年、長尾先生から、金融はやめて、証券学をしなさいとのアドバイスをうける。
 そのうち、君のために大学に証券講座をつくるからといわれた。
 (7〜8年後に本当に実現することになる)


 証券といえば、そのころは、米国であった。米国の書物を研究していた。
 1929年大恐慌や投機の研究をしていた。
 そのころ、米国では銀行がレバレッジで株式を買っていた。
 当時は銀行と証券との境目がなかった。
 ニューディールの中で証券の取引をFRBをチェックするという、マージン取式規制、グラススティーガル法が成立していた。


 投機について、学会では(当局でも)批判的な立場が大多数であった。

1)投機は本来ならば経済成長に使うべき資金を費やしているという説
2)そうではない説。ドイツのフリッツマハールが展開していた。

 杉江先生は、資金拘束説をとらない学者であった。

 投機をテーマにした。
 マージン金率を定める権限をFRBに持たせようとチェック。
 日本では昭和25〜26年に信用取引が導入。
 そのころ、銀行が証券を通して貸す余裕がなかった。
 そのままUSのシステムを導入。
 日銀から借り投資家に貸す、日証金、大証金ができた。


 さて、杉江先生の修士論文の審査のとき、学部長が審査員長であった。
 ところが、株や投機という文字を見ただけで、学問ではないと切り捨てられてしまう。
 論文のテーマについてさえ話をきいてくれない。
 株なんかをどうして対象にしたのかと叱責されてしまう。
 相場屋、株屋と見られたのだ。学問対象にはならないと。

 それでも、投機の社会的な意義があるから、それを説明したが、他人の審査よりもかなり長くかかってしまった。



−−− 大学院で証券をテーマに選んだ理由 −−−


・学部時代に金融政策を卒業論文に選んだこと。指導教授から証券論にするのも良いとのアドバイスを受けたこと。

・そこで大学院の修士論文は金融政策と株式市場への資金流入の関係を主として米国の事情を中心に論じた。当然ながら日本の信用取引も対象にした。


 大学院修了後、最初に研究対象にしたのがポートフォリオセレクション

・大学院修士課程修了後、直ちに同志社大学には行かず数年間、大阪北浜で証券市場と米国経済の研究調査業務に就いた。

 京都学国語大学に大学講師としていなさいといわれたが、することがないというと、「ただ、ぶらぶらしておれ」といわれた。

 商業科の高校で教えた。
 研究もなにもできないので、大阪の証券研究所につとめることにした昭和33年の秋。
 熊取谷武(1906−1993)さんに師事、仕事はフィナンシャルタイムズやウォールストリートジャーナルの記事の訳をすればよいことに。


 野村信託にいた方から昭和36年ぐらいにナショナル証券(松下幸之助創設)の調査部長にならないかという話があった。
 大阪証券研究所は、証券各社の全体の研究員なので、ナショナル証券へ「出向」という形ならよかろうということで調査部長をさせられた。

 29歳。ひがまれた。若すぎる部長であった。
 まわりは年上の人ばかりだから。

 とにかく、そのころは、学位論文(ドクター)をはやく出したかった。
 1959年に出版されたハリー・マーコヴィッツの“Portfolio Selection”という著書は日本で誰も紹介していなかったので杉江先生がその嚆矢となった。
(1953年に論文)

・マーコヴィッツの研究は多くの株式を同時に保有するファンドがリスクとリターンをどのように配分するか(銘柄選択)について統計手法を用いて選別するもので理論的な精緻なものだったが、具体的な計算数が多く当時のコンピューターの能力では時間がかかり、経費も高くついたため、実務界ではほとんど利用されなかった。

 それを改良したのがW.シャープのβ(ベータ)理論である。
 証券の人々は金融の研究者には関心を示さず。証券の学者ではこれはやっていなかった。

 なのでそれを紹介した。これが大きな杉江先生の業績である。



− Risk とReturn −


(それまでの分散投資論は「多くのたまごは、ひとつの籠に盛るな」という格言だけだった)

 予想収益とその確率(偏差)分布は証券理論の基礎であるが、それは株式変動率の期待値とその分散について考えるのである。
 そこまではよい。
 だが、実際、ポートフォーリオのリスクとなると共分散(ccovariance)を計算しなければならない。だが、500の銘柄の共分散は12万にもなるので実務的ではなかった。
 マーコビッツの理論は計算機が高価な時代では普及は難しかった。
 当時は手動のタイガー計算機であったので。

 日本の国政を見ても、60〜70年代は日本社会党が強かった。
 国会での議論は株式投資は反社会的とされた。
 そのときは民社党までも株式投資には反対であった。

 Sharpeの理論でインデックスと個別株の共分散だけでよくなり、500銘柄でも500しか求めなくてよいから、共分散の計算はうんと楽になった。
 それがSharpeの功績。

 このようにしてベータは現場に普及する実務的なものとなった。


 杉江先生は、1974年(昭和49年)信託協会から研究費として50万円をもらえたので、そのお金でニューヨーク+ボストンに行った。ロックフェラー財団の運用を見に行った。ハーバードにもいった。

 メリルの方は、マコービッツ理論をビジネススクールでしかならっていない。
 15年たっても実践ではマコービッツは使えなかった。

 趨勢はインデックスファンドに向いていた。
 北米に留学したとき、ブラウンブラザーズを訪問。
 かれらとハーバードに行った。

 実は1974年ベトナム戦争の終わり。軍需株はハーバードは嫌いだった。
 基金はフィデリティが運用していた。
 そこに軍需株が入っていたので外せとフィデリティーにいったら、
フィデリティは、
 「口を出すな。口を出すなら首にしろ」と。だから首にした。
 運用する人がいなくなったので、大学は素人運用で細々とやっていた。

 ブラウンブラザーズの方に、
 「運用者を探しているんだけど、ハーバード出身がいいな」とハーバード基金が相談すると、
 「待ってました。」
 そのブラウンブラザーズの方は、ハーバードのスクールTieを見せて、俺にやらせてといったという逸話。

 そのころ、同志社では、金融論に加えて、証券論講座を長尾先生が杉江先生のためにつくってくれた。いまも講座があるがやる人がいない。

 後継者はわざとつくらなかった。
 一代限りでよいと思っていた。

 やめて15年経つが、長尾先生が杉江先生のためにつくったのだから、一代講座として、退官後は、もうこれでやめることにした。



−−−−住之江先生との出会いの話−−−


・住之江先生にお目にかかったのは、小生の北浜時代から。大阪証券取引所調査部主催の月例研究会の席だった。
 インベストメントという雑誌をだしていた。
 住之江佐一郎 証券経済学会1966年(昭和41年)に同志社にいった。
 発起人のひとりが杉江先生。
 その前から知っていた。
 それまでにもご著書は読んでいたため、親近感は抱いていたが、個人的におつきあいしているうちに、すっかり魅せられてしまった。

 住之江先生は慶応出身。
 卒業後、独立したが、自分が関係した会社はつぶれるからといっていた。
 その後、立命館大学の教授に50代でなられた。
 執筆のスピードがすごい。あっというまに数冊の教科書を執筆した。
 株式価値論。証券分析の価値。ダイヤモンド社から出した。
 まさに、滝のように書いた。
 文庫本も多く書かれた。


・杉江先生が同志社大学に勤務してからは共著書も書かせてもらい、次第に先生のご専門である株価分析論のお手伝いもするようになり、株式に関心を寄せるようになった。酒席での話題にも事欠かない洒脱(しゃだつ)なお人柄だった。


(つづく)

リンクス リサーチ 日本株調査部 アナリスト 山本 潤


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その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
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コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。


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このコラムはいかがでしたか?面白かった・役に立ったと思った方は
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個別銘柄の研究 新報国製鉄(5542)

画像:同社ホームページより


− はじめに −


億近執筆者の情熱投資家、相川伸夫氏から9月下旬に話を伺いまして、
「訪問取材はなかなか受けてくれない」というのです。
確かに、IR専門部署がないため、訪問は叶いませんでした。

ただし、電話では1時間程度の取材は可能でしたので、
わたしも同社のリサーチに協力。

最先端の部品に関する採用、非採用などの営業サイドの際どい部分も多く、
会社に迷惑をかけないように留意しながら書き進めていました。

しかしながら、レポートを書いているうちに、株価が上昇基調になりました。
投資タイミングは押し目で。

投資は自己責任でお願いします。


相川伸夫氏の選別眼のユニークさやストック・ピックの腕の確かさは、
9月10日セミナーの打ち上げや17日セミナーの打ち上げで二人でいろいろと技術の話すうちにわかりました。


やはり、調べた結果は面白い企業でした。


新報国製鉄の営業ご担当の会社役員にヒヤリングを実施いたしました。

採用・非採用の際どい部分や将来業績の際どい部分は筆者の主観なので、
そこは載せないようにしました。

その後も、継続的に会社側と対話をしてきました。



= 銘柄研究レポート 新報国製鉄5542 究極のゼロ膨張合金への挑戦!=


〜道を切り開いたのは、大口顧客や銀行や株主やファンドの力ではなかった。

 大型の提携でもなければ、最新の設備でもなかった。
 額に汗を流し、顧客の元で話を聞き、
 ひとつひとつの商談をまとめた社員たちであった。〜(本文より)


[要旨]

同社の主力製品ゼロインバー (invar) に着目する。
半導体や液晶製造装置向けが売上の大半を占める。
厳しい位置決めを要求されるため、究極のゼロインバー合金が近年求められるようになった。
ゼロインバーの牽引により、同社の業績も右肩上がりできている。

今後、数年間で用途が広がっていく可能性があるため、取り上げることにした。
7年後の売上100億円を予想。
現在の株価1700円台と筆者の算定するDDM価格とは相当な大きな乖離が理論上存在している。

注意:DDMの理論株価はあくまで理論値の計算の結果です。
   実際の売り買いのご判断は自己責任でお願いします。


〜 目次 〜

− 主力製品 インバー −
− ゼロインバーの用途 −
− 今後、期待できる分野−
− 高炉の下請け 土地バブルに踊る−
− 8期連続の営業赤字という体たらく−
− M&A浮上せず。 他力本願、極まる−
− 大きな最終赤字。獅子、目覚める −
− 復活劇 −
− 躍進 −
− 社員たちへ報いる! −
− 未来へ −
− 参考資料 −


【新報国製鉄5542 研究レポート 本文】


− 主力製品 インバー −


wekipediaによれば、インバーとは合金の一種。
常温付近で熱膨張率が小さいことが特徴。
鉄に30プラスアルファ%のニッケルを加え、
微量成分として様々な元素を添加する。


− ゼロインバーの用途 −

半導体露光装置やCMP装置などがメインだ。

近年は、有機ELが離陸したため、LTPS(低温ポリ)TFT露光装置向けが伸張。
大型LCD露光装置向けも中国の投資増加の恩恵を受けている。

インバーは支持台、監視用センサ周り駆動系の部品として使われている。


HPより
露光装置においては内部に位置等を測るセンサーが多数搭載されている。
そのセンサーは位置決めのために正確に距離を測るためのもの。
距離を測るものは動いてはいけない。
熱膨張があることは、動くということ。
動かないために低熱膨張合金の部材がつかわれる。

部材は支持台だけではなく、センサー周りの駆動系にもつかわれている。

インバー合金は高炉なども手がけているが汎用用途であれば熱膨張率は1.2x10^−6/度だが、同社のゼロインバーは1x10^−7以下を達成している。

しかも、同社のゼロインバーは、経年劣化もほとんどない。
他社のインバーは2×10^−6/度程度は経年劣化する。
ちなみに、鉄の熱膨張率は12x10−6/度。

同社は装置向けに要求の高かった高剛性のゼロインバー合金開発に成功。
ヤング率を従来比1.5倍以上に高めた。
高剛性は高精度位置決めのスループットの直結するため、
装置構成部材はヤング率が高い方がよい。
装置メーカは基本的にソフトウェア制御で解決するが、
今後は材料の力を借りて制御することも必要になってくる。

これは筆者の思いだが、今後、有機EL向けには蒸着装置向けなどの新規領域で採用が期待できそうだ。
また、EUV向けには反射型のマスクが必要になるのでnanoレベルの位置決めに同社の支持台はニコンが頑張れば、採用される見通しがあると筆者個人は考える。
今のところは残念ながらオランダの会社Aの一人勝ちではあります。

キヤノントッキやULVACの開示資料を見ると有機ELの蒸着装置にXYZステージを設けるという。

これは同社にチャンスだ。

もちろん、大型液晶の露光装置はそれだけ光学系部品も大型化するため、
膨張率や剛性が重要になる。
光学系が重くなるからだ。

蒸着装置向けは採用が仮に決まっても露光装置ほどは需要はでないであろう。
しかし、新規需要であるからインパクトは大きい。

JDIの蒸着タイプELの投資も始まる。
また、将来インクジェットの大型基盤で発光層を塗布するウエットプロセスの量産が始まりそうだが、発光層の上下の電子移動層や電極については従来通りスパッタで行う必要がある。
それらはステージをステッパーのように動かすから、同社の高剛性合金の活躍の場は広がりそうだ。
(たとえばJOLEDが手がけるインクジェット方式)

いずれにせよ、有機ELの市場は拡大期にある、と見てよい。


[ゼロインバー合金用途まとめ]

「ゼロインバー合金は、熱膨張を抑制した構造材料、記録材料、電子材料として用いることができる。
その他、撮像装置、集光装置、露光装置や光学観察装置といった光学機器の光学精度に関わる部材や接着層にも用いることができる。
また、セパレータや封止材といった流動体の移動を妨げるための部材に用いることもできる。
その他、電解コンデンサ材料として用いることもできる。
特に、メタル基板、放熱基板、精密アクチュエータの構造材、有機感光体の基材、光学スペーサ部材、電極、バネといった温度変化のある環境下で用いるデバイスや製品に用いることができる。
その他、液晶製造装置のステージやテーブルといった高い位置精度を求められる構造部材に用いることもできる。」

(キヤノン開示資料より)


露光装置の光学部材の大型化は、光学部材の重量増や相対的な剛性の低下を招くことは説明した。
投影光学系内での支持を介して面形状の誤差を増大させ得る。
このことは、光学部材を製造する場合も同様であり、特に大型の光学部材を製造する場合には、繰り返し実施される加工や計測において、加工装置や計測器上で光学部材の面形状が変化し得る。

そこで、光学部材の支持による光学部材の変形を抑えるために、
支持部品としてのゼロインバーが必要なことは前述した。

そこに今回の同社の新発見。
ゼロ経験劣化の合金の開発である。
世界で初めての量産である。
これは同社のプレスリリースをみてほしい。
http://www.shst.co.jp/wp-content/uploads/2017/03/201703292.pdf

もちろん、ゼロ劣化、ゼロ膨張だけであれば、セラミックやガラスでも実現はできる。
だが、合金は切削など、所望の形状に加工できるというガラスやセラミックにはない優れた特性がある。
このことを強調しておきたい。


− 今後、期待できる分野 −


宇宙、航空、精密、工作機械向けなど
高剛性・ゼロ膨張・低経年劣化のニーズは強い。

いままで、それを開発できた製鉄会社はなかった。

航空機向けでは炭素繊維強化プラスチック(CFRP)などの普及の恩恵を受けそうだ。

航空向けは今期よりすでに出荷が始まった。
CFRPを製造する際の金型等に用いられるようだ。

ゼロインバーではなく、耐熱の方向性でも同社は頑張っている。
特にバイオマス発電向けに期待している。
メンテフリーで長寿命の耐熱合金を開発。ボイラー向けに出荷実績。


− ここからは、 同社の苦難の歴史を振り返る −


− 高炉の下請け 土地バブルに踊る−



新報国製鉄は、1980年代、高炉を顧客とするシームレスパイプ向け抜き打ち工具を主力としていた。
高炉がシームレスパイプを受注するとき、高炉は赤字を回避しようとする。
同社は値下げ圧力を度々受け下請けの悲哀を味わっていた。

顧客の住友金属にとっては、需要が高いときだけ使い回しの効くバッファー企業に過ぎなかった。

打ち抜き工具は安物との競争が厳しくなった。
会社も新製品の開発を急いでいた。

無借金の好財務企業であったし、土地4000坪をたったの年間3000万円で貸していた。

いわゆる「いい人」系の企業であった。


極少量ではあったが、80年代の半導体の創世記からニコンの半導体露光装置向けに低膨張合金部材を出荷。
それが徐々にニコンの露光装置の飛躍と共に、低熱膨張合金部材は同社の収益の柱へと育っていく。

土地を持つ同社の株価は1990年の土地バブルで急騰する。

1990年7月には2500円をつける。
1990年代の同社は、典型的な低収益企業であった。
土地の含みがあるからか、営業利益率は3%に満たない状況が続いた。

1992年は営業赤字であったが、株価は高値3150円をつける。
これが今も同社の上場来高値として記録されている。


−8期連続の営業赤字という体たらく−


92年、93年、94年と営業赤字を記録。
同社も無策であったわけではない。

高価なX線測定機器を導入。
鋳物の物性を測定するなど、品質改善への努力を始めた。

このころの同社の売上規模は20億円弱であり、人件費107人で平均年収500万円。平均年齢43才であった。

売上に占める、人件費と福利厚生は、合わせて35%と推定される。
止むを得ず、従業員のリストラと賃下げを断行する。
年収を400万円へカットする。
従業員は85人へと減らした。

株価は92年の高値3150円をピークに暴落。
400円台となってしまう。
土地バブルも弾け、収益力もゼロでは、如何ともしがたい。

台湾企業に融解技術を供与して、ただのようなライセンス料をもらったが、焼け石に水であった。

住友金属が攻めの経営でシームレスパイプをグローバル展開に意欲的であった。
また、ニコンのステッパーの勢いがまだ継続していた。
ただし、95年も赤字。これで4期連続の営業赤字となった。

当時の自己資本比率は72%で無借金。
売上は80年代の20億円弱から、ステッパー向け部材の増勢で24億円程度まで伸びてはいたのだが。
売上増加に対応する人員も増加。
115人の従業員で低すぎた年収も440万円程度へと戻す。

熟練の技を基本とするだけに、売上増加に人件費も増加する悩ましい事業構造であった。

シームレス向けもステッパー向けも研究開発を要する歩留まりに難がある製品であった。

ついに96年も営業赤字であった。
5期連続赤字。

ここでひとつの転機が訪れる。
シームレスを強化したい住金が25%の筆頭株主となる。
同社は住金傘下となり、シームレス中心に関係を強化することになった。

これまでの下請け扱いで不定期発注から、経営支援の意味を込めて安定発注を住金は約束した。

この頃、同社は外部からの取材を一切拒否。
97年も営業赤字。
6年連続の営業損失を記録。
株価は300円台に低迷した。

98年は住金からのシームレスもニコンのステッパーも不振のダブルパンチ。
赤字は拡大。無配懸念が台頭する。

98/12 売上17億円、営業損失2.6億円。
7年連続で営業赤字。
4円から3円へと減配。

半導体向け売上は4.2億円。

1997年後半から1998年にかけて、日本は異常事態であった。
山のような不良債権が問題になっていた。
山一證券、三洋証券、北海道拓殖銀行等が破綻。
先の見えない日々が続いた。

99/12 売上17億円、営業損失2.1億円。
なんと8年連続の営業赤字である。


− M&A浮上せず。 他力本願、極まる−


同社は長年の下請け根性から抜け出せないでいた。

山本重工(三重県の製造拠点)子会社することを決定。
山本重工は売上12億円で黒字企業であった。

2000/12にようやく営業黒字へ転換。
連結会計を導入。
売上は33億円へとジャンプ。
1.4億円の営業利益となった。

ところが、である。
日本企業全般にいえることではあったが、不良債権処理のための低金利が企業財務を直撃する。

退職金債務である。
予定利率5.5%では運用できなくなった企業が、債務を拡大させる。
同社も2001/12は最終赤字3億円に転落する。
1.3億円の営業赤字に再び転落した。

折しも、ITバブルが崩壊。
日本全体も二番底へと向かう過程にあった。

2002/12は減収となり売上27億円に低迷。
過去最大の営業赤字3.8億円に陥った。

すでにこのころ、半導体向けの売上比率は7割に達するようになった。

2003/12も山本重工の株式評価損等で三期連続の最終赤字となった。
2003/12 売上31億円 2.7億円の営業赤字。
最終損失は3.2億円であった。

技術では負けない。台湾に教えてやっている。
会社のどこかに甘えがあったのかもしれない。
他力本願であったのかもしれない。


− 大きな最終赤字。獅子、目覚める −


技術はあるのにそれを活かすことを怠っていた。
眠れる獅子であった。

ついに、同社は、安易な道よりも、厳しい方の道を選ぶ。

大口との取引よりも、小さい顧客のカスタムニーズを新規営業によって開拓する道を選んだのだ。

この経営の選択が同社を蘇らせることになる。

これまで、社員の中には、
「新日鉄がどうにかしてくれる。」
「住友金属がなんとかしてくれる。」
という空気があったと思う。

つまり、大口の顧客に頼っていた同社は、無借金で財務内容よく、土地の含みもあったがゆえに、地道な努力やフットワークを使った営業をする必要が、そもそも、なかった。

8年連続の営業赤字で体力は疲弊した。
そこに年金債務問題。
株式評価損の問題。
株式会社日本の深刻な問題の縮図であった。

2003年の大きな最終赤字でようやく目覚めたのだ。
100人に満たない人員では、マンパワーには限りがある。

それでも、同社は、小口の注文に対応し、新規開拓を続けていくことを決めた。

営業本部を設立。
これが会社を変えた。
下請けでは価格交渉力はない。

自ら顧客を開拓し、新報国製鉄のファンを時間がかかっても、ひとりひとり増やしていく道を選んだ。

人生も会社の歴史も同じ。迷ったとき、困難な道を選べ、である。

2003年のこの経営判断が10年後に実を結ぶことになる。

2004/12 売上は44億円へと拡大。
顧客開拓が実を結ぶ。
1.5億円の営業利益を計上。
最終利益も黒字。
4円に増配となった。

もちろん、低インバー合金は半導体研磨装置CMP向けに採用されるなど、
新規の需要もうまく取り込むことができた。

それ以降、取引先からの高機能、精密化へのニーズが多数寄せられるようになる。
営業が顧客のニーズをつかみ、それに開発・生産が応えるという好循環が徐々に出来つつあったのだ。

2006/12は、住金のシームレス事業が順調に拡大。
そして、シームレスと半導体の二本柱が揃い踏み。
半導体はステッパーとCMP。それに加えて液晶露光装置への納入も増えた。
売上71億円。営業利益は8億円。営業利益率が10%を超える。

だが、上手くいかないものである。

低インバー合金は3割強をニッケルに頼るわけだが、そのニッケルなどの市況が1キロ1000円から4000円近くへと高騰する局面が訪れる。
2007年をピークとするコモディティバブルだ。

原料の3割が4倍になれば、利益は出ない。
ところが同社は踏みとどまる。
値上げを要請したのだ。
価格競争力が備わってきたのだ。

2007/12は売上69億円。営業益6.1億円。
2008/12も売上70億円の営業益6億円と3年連続でよい年となった。

だが、リーマンショックが訪れる。

ハーフエコノミーといわれた大不況であった。
半導体の設備投資はほぼ枯渇。ゼロになる。


− 復活劇 −


未曾有の危機であった。

売上は半減以下。
2009/12の売上は18億円へと急減。営業損失11億円を計上。
会社の存亡の危機となった。

この危機に登板したのが成瀬社長である。
需要急減を受け、製造拠点を三重県に集約。人員も整理した。
希望退職19人。解雇52人。人員は100人規模へと縮小した。

社長の成瀬は、土地の再利用を決断する。

収益は改善した。
2010/12売上は倍増の36億円。営業赤字は0.7億円。
止血は成功した。
土地は2500坪は宅地として販売。
7500坪は商業施設として賃貸に出すことを決めた。

2011/12は売上42億円で営業益2.1億円と黒字浮上。
会社は危機を脱した。

このころから、同社は、役割分担を徹底する。
本社は営業と開発と試作。
量産は三重工場。
成瀬社長は、ヘルメット姿で炉の前に立つ。

社長が現場でヘルメットをかぶる写真が同社のHPにある。
この写真は筆者の胸を打った。

そこには、行動指針も書かれている。

1)正直に行動する。
2)現状に満足せず、挑戦をし続ける。
3)額に汗し、愚直に、心をこめて物造りに励む。
4)お客様に満足頂ける価値ある製品で、国と社会に貢献する。
5)お客様、株主様、お取引先様の皆様に報い、従業員と家族の幸せを実現する。

どうだろうか。

この苦労の連続であった過去30年を振りかえった。

最大の危機は、リーマンショックであった。

道を切り開いたのは、大口顧客や銀行や株主やファンドの力ではなかった。

大型の提携でもなければ、最新の設備でもなかった。

額に汗を流し、顧客の元で話を聞き、ひとつひとつの商談をまとめた社員たちであった。

顧客ニーズを汲み取った製品を開発した社員たちであった。

どんなに小さな注文でも。たったひとつの部品でも。

昔の浜松ホトニクスがそういう会社であった。
JAXAからのたったひとつの注文に対応していた。
同社もまた、今年、JAXA鏡向けの低膨張率の土台を受注し開発し納入した。
(同社press releaseより)

他社に断わられて、途方に暮れている顧客が無数にいたのだが、
それらは、土地バブル期やITバブル期には目には見えなかった。

見えない潜在需要を掴むため、プライドを捨て、見込み客へと足繁く通う。
その態度が顧客の心を徐々に掴んで行ったのではないだろうか。

そのうち、顧客から声がかかるようになる。
こんな装置を作りたいという要望を聞けるようになる。
設計段階から共同で素材を開発できるようになる。

装置を作るとき、図面の段階から開発をし、
必要とあらば、同社はマイナーチェンジを厭わない。

実際、航空機向けは顧客ニーズに向き合った結果、開発方針を変更してでも、
新素材を作り上げたという。


− 躍進 −


同社の躍進は以下の通り、数字が示している。

売上と営業利益

12/12 31億円 1.1億円
13/12 29億円 1.4億円
14/12 37億円 4.1億円
15/12 48億円 5.8億円
16/12 53億円 8.9億円
17/12e52億円 e 7億円


生産量を追わず。
汎用用途は捨てる。
これは、日本に数ある鉄鋼メーカーには、なかなかできることではない。

ここにひとつの数字がある。

2006/12
 生産数量2397トン 生産高44億円 平均単価1835円/kg

2016/12
 生産数量1302トン 生産高43億円 平均単価3324円/kg(1.8倍に上昇)
(有価証券報告書より)

インバー合金はニッケルを3割強使用する。
他にも高価な金属も含有するため、1000円台/kgの単価で販売しても利益が上がらない。

これが1992年12月期から8期連続の営業赤字という不名誉の理由だ。

一般論だが、変動費率の改善とその高位安定は経営の目標のひとつである。
そのためには、競争のないところで、オンリーワンを狙わなければならない(blue Ocean)。

たとえば、同社は技術的には有機EL蒸着装置向けのメタルマスクをつくる実力はある。
だが、それをわかっていて、あえてやらないのは、大手企業を相手にして、
値段競争に巻き込まれることを警戒しているためだ。

いまの新報国製鉄は「賢い」企業なのだ。
この賢さは投資家にとって重大な意味をもつ。

多くのアマチュア経営者は、数量が伸びるものに、大金をつぎ込んで経営判断したつもりになっている。

昔のシャープやパナソニックや東芝がそうであった。
カネで解決すれば企業は終わる。
難局は努力と工夫で解決しなければならないのだ。

10年前のように、限界利益率が2−3割ではフリーキャッシュフローは生まれない。株価も長期低迷する。

現在のように同社の限界利益率が5割を越えれば、トップラインが伸び、
利益はそれ以上に伸びる夢があるから、株価は上昇する。


− 社員へ報いる! −


頑張った社員たち。

10年前、年収400万円であった従業員の平均給与。
17年6月現在、従業員92人の平均給与はなんと倍増の800万円である。

構造不況の鉄の業界にいながら、社員の給料を倍にしたのだ。

あのまま、大手の下請けのままであったら、社員はいまより不幸であったろう。

売上に占める固定費は35%から30%に低下したと筆者は計算した。
限界利益率は筆者推定で50%台に上昇した。

10年後の100億円の中期計画だが、筆者は売上的には十分に達成可能であろうと見ている。

*会社の営業サイドとの調整により利益予想の方は割愛させていただきます。
 個別にわたしの個人的な予想に興味がある方は運用会議の際に声をかけてください。
*会社はIRについても前向きな姿勢があるため、見学会などの開催も可能なようだ。まだまだ投資家に認知されているとは言い難いので、このような姿勢の変化はありがたいことです。


− 未来へ −


同社の将来は明るい。

バイオマス発電向けボイラー部品が拡大しそうだ。
メンテナンスフリーでしかも高寿命という夢のようなボイラーだ。

環境対策としてバイオマス発電は国策にも合致する。

航空機エンジンブレード向け金型。
炭素繊維や炭化硅素樹脂は宇宙航空向けに用途が広がるだろう。

有機EL向けの製造装置に止まらないだろう。

EUVにも採用されるだろう。世界のnanotechnologyを支えるゼロインバー合金の活躍の場は計り知れない可能性を秘めている。

どれも、同社にしかできないオンリーワン製品を世に出すことに成功した。
金属加工というアナログな技術で、信じれらないような特性を叩き出した。

ゼロ膨張合金は究極の製品といってよい。
この10年で熱膨張率を10分の1に低減した。

成瀬社長は、ことあるごとに、前社長と前々社長の功績に言及する。

それは、顧客をその大きさで判断しなかったこと、新規営業に舵を切ったこと、
社員を鼓舞し、顧客と寄り添い、工夫と努力で新素材の開発を続けたこと、

そうした経営の王道を選んだことに対する旧経営陣への敬意であるように思える。


 by yamamoto


− 参考資料 −


− 知財面 −

極低膨張合金の特許を2017年に登録。
一定の競争力を担保したと評価できる。
高炉の膨大な知財に比べると弱いことは否めない。
高炉が進出しても意味がないと思われるニッチ領域を開拓していく方針。


−新報国製鉄の生い立ち−

− 技術ベンチャー現る!−


昭和14年4月3日報国砂鐡精錬として東京市京橋に設立。
砂鉄から純鉄を製造。

従来、砂鉄精錬から純鉄製造は困難でああった。
それは砂鉄精錬には2000度という高い温度が必要だからだ。
その鍵は耐火煉瓦にあった。

耐熱性煉瓦で炉を試行錯誤して砂鉄からの精錬に成功した。
砂鉄を純鉄にする技術を開発した。

設立の最初から、ユニークな技術を志向する経営であった。
当初の顧客は神戸製鋼や日本ニッケルであった。
砂鉄は青森で調達していた。
同社の純鉄は優良品との評判が高かったようである。

戦後は日本橋に本社を移し報国製鉄として再スタートした。
純鉄月産70トンレベル。
これは戦前の半分の水準からスタートした日本電解製鉄所や岡谷鋼機が株主であった。

戦後すぐに経営のフォーカスを鋳物とした。


−時代の寵児となる! チタンの時代を自力で切り開く−


新材料志向が強く、1950年にはチタライト製造に成功。
この新製品でチタン鉱石を置き換えようとした。

1950年は三徳工業(川越)を合併。
三徳は青森下北に砂鉄鉱石の権益を有していたためだ。

1951年に国策会社の日本チタニウムが操業を開始する。
同社は原料供給を一手に引き受ける。

これが大当たり。
躍進する。

昭和26年の純利益は数百万円。
わずか1年後に5000万円の利益になる。

株価が暴騰。八幡製鉄が買い占め。富国生命が大量取得。
日本のチタン産業の黎明期を新技術で支えた。


−まさかの破綻劇−


同社は無理な増産をしたが、1953年には鉄鋼不況。
まさかの手形不渡りで破綻してしまう。
1953年同社は上場廃止となった。

再上場(店頭登録)は1981年となった。

破綻を反省して、その後の同社は無借金体制を貫いた。
下請けであった。
つまり、鉄鋼大手5社と重電大手がユーザーであった。
従業員150名。売上15億円で純利益1億円程度であった。

シームレスパイプ用工具が稼ぎ頭であった。
1983年は大手顧客の住友金属からのシームレスパイプ工具の値下げ要請、大幅減益となった。
1985年から電機メーカ向けに受託圧延加工を請け負う。
これが好調であった。

1986年半導体向けが立ち上がる。日本光学(ニコン)と提携。
しかし、その関係は短期で解消される。
半導体装置向けは一朝一夕には開発ができなかったからだ。
技術の蓄積には時間がかかったからだ。

1988年シームレスからの脱却を志す。
耐熱、対磨耗などの鋳鉄品を中心に新素材を自力で開発を進めていく。
ただし、収支はトントンであった。

同年、開発スタッフを雇用する。
また、X線分析装置などの開発に必要な検査分析機器を購入した。
ニコン向け中心に精密鋳造部品が1990年から売上を牽引するようになった。

開発スタッフ1988年雇用。検査用機器の購入。営業本部の設立。
人、金、物を揃え、我慢に我慢を重ねた。
それでも、大手との取引より小口取引、直取引を志向するのは勇気がいる決断であって、2003年まで待たなければならなかった。

営業と開発が真に一体化するまでに10年。
開発がものになるまでに10年。
その歴史があって、今の新報国製鉄の姿がある。


10年というタームで会社を見よう。
頑張っているかどうかは数字だけではなくて、その会社の態度で評価しよう。


読者のみなさま、最後の最後まで、お疲れ様でした。


− あとがき −


名を残す。

わたしも、独立をしたばかり。大手証券や大手金融機関にいた時は楽でした。

独立して、どこかの傘下に入るのは楽です。
でも、わたしたちは、自分自身でこのプラットフォームをつくりたい。
地道にわたしたちのファンをひとりひとり作りたい。

そのとき、この銘柄に出会って、自分自身、衝撃を受けた。
楽な方向に流れる自分は嫌い。
お金がなくても、生活が厳しくても、
書きたいことを堂々と書く自分が好きです。

軋轢を気にしないで、やりたいことをやろう。
本当にやりたいことだけをやる人生を全うしよう。

そうわたしが決意したのは、
同社の破綻の歴史、困難な歴史を振り返ったからだ。

破綻しても、同社は歴史に名を残しました。
名を − 生きた痕跡を残した。

戦前は砂金から純鉄を初めて精錬したことで。
名を残した。戦後はチタン白をはじめて生産した。

そして、いま、21世紀に、ゼロ劣化、ゼロインバーを開発。
日本の宇宙産業を支える。

何が大切だったのだろうか。

もちろん、高い目標や志であった。
カネの解決ではなく、工夫の解決を。
汗の結晶で歴史に痕跡を残す。


社員を大切に。
開発を怠るな。
営業は足で稼げ。
開発と営業をフラットな関係にせよ。
諦めるな。
困難な道こそ地道。


繰り返します。
最後までご覧下さり、ありがとうございました。


山本 潤 みんなの運用会議 議長

みんなの運用会議:https://double-growth.com


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。
(社会人学生として数学科博士後期課程在籍中)


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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個別銘柄の研究 日本板硝子(5202)パート1


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− 商品市況の転換点 −


よくも、こんな、ひどい状況が何年も続いたものだ。
いや、鉄の話です。

世界の需要を大きく上回る供給能力を持つ中国。極端な生産過剰。


鉄だけではない。
紙パもガラスも輸入品に悩まされている。

ところが、そんな制御不能の中国も、もはや、人が住めなくなっている。
酷い公害大国になってしまったからだ。


多分、星なんてあることすら知らない。
生まれてから死ぬまで一度も星空をみないで死んでいくのが中国の人々なのだ。
毒素溢れる空気。汚水のような水道。
そんな国で野菜をそだてるのは狂気。過剰な農薬漬け。
養殖は油と泥の中で薬漬け。

いま、世界中の人々は、もう、中国産の食料は買わない。
だれだって命を犠牲にしたくはないから。


中国は自滅するのか。
モラルの一片もない人々が過剰投資を過剰に繰り返す。

公害対策は、中国にとって、もはや、一刻の猶予はない。


そこでようやく、政府も腰を上げた。
公害を垂れ流し続けるセメントやガラスや製鉄の工場を閉鎖。
もう、人が住めないような国になってしまった。
それはもはやは国とはいえない。


注目しているのは、以下の動き。

アルミが5年ぶりの高値。銅も随分と上がった。

このことは、中国の供給がしぼられたからだ。

もし、そうであれば、ようやく、コモディティ企業も一息つける。


これは、状況証拠でしかない。
だが、格言にあるとおり、噂で買って事実で売れ。

コモディティ価格の落ち着きは、供給過剰のリスクが和らいでいることを知らせるコールかもしれない。



− 限界利益率の低さは改善されるのか −


限界利益率が低いのがコモディティの常だ。

誰でもどこでもできる商品がコモディティであり、
ガラスもコモディティである。

ガラスは珪砂、炭酸ナトリウム、ソーダなどを原料とする。
窯業として、釜が必要なので、大量の天然ガスなどの熱源を必要とする。
そのため、限界利益率は40%以下であろう。

鉄と違って救われているのは、悪路ではガラスは割れてしまう。
輸送効率が悪い。

基本は、地産地消が好ましい。

コモディティの中では、ガラスはまだましだ。

コモディティは、価格が上昇するとき、供給がしぼられるときぐらいしか買うチャンスがない。

いまが、そのチャンスかもしれない。


ちょっとはチャンスの出てきたガラス業界の中で、面白い銘柄を発見した。

日本板硝子(5202)である。



− 日本板硝子の株価が数倍になると考える理由について −


それは、まず、株価がべらぼうに安くなったからである。
2000年のピークから20分の1になっている。

また、収益も戻り歩調。商品単価が上がっている。
これまでの低い利益率が中期で二桁に乗る可能性を指摘したい。


もちろん、リスクはある。以下の通りだ。

1)輸入ガラスの価格攻勢に押されたり、

2)IT向けガラス戦略で失敗を繰り返したり、

3)マネジメントが迷走すること。

ところが、ラッキーなことに、1)については、冒頭に指摘した通り、
中国の公害による自滅によって、輸入品の脅威はひとまず和らいでいる。

2)については、液晶やレンズのIT戦略はすべて失敗したが、すべて撤退。後始末はついている。

3)の経営リスクは、日本型M&Aの典型的な失敗例といわれる2006年のピルキントン買収という前科があるから。
己の数倍の規模の相手を丸呑みするかに見えた買収は、板硝子側に統治能力がないことが判明していく。
実際、買収後に、欧州でカルテル制裁金を課せられる。
すぐに欧州危機が勃発する。
英国ピルキントンの3万人弱の従業員は守られ、固定費は高止まる。
買収条件は開示されていないが板硝子の経営陣にとって不利な条項があったのではないかと推定される。

いまさら言っても仕方ないが、日本板硝子側が買収に無知であったといわれても仕方がないのだ。

ただし、無知(というか不運)であっても、この10年間、大規模な投資をしなかった。

どんなに不運だとしても、投資をしなければ、失敗しようがない。


実際、コモディティ事業の戦略は、M&Aを軸にするしかない。
大筋では板硝子の戦略は正しいと思う。
その規模とタイミングが悪かっただけだ。

買収後の10年間で会社はかなり筋肉質になっている。
特に、資産効率は改善。無形固定資産も大幅に減少。
潜在的なリスクは大幅に低下している。
財務リスク低下によるリスクプレミアムの低下が期待できる状況になった。

       2007年3月 2017年3月
無形固定資産 約4000億円  1760億円
有形固定資産 約4000億円  2600億円
有利子負債  約5000億円  3800億円
営業利益     464億円   320億円
総資産      1.4兆円  8100億円


今回、ゼロ金利時代に、極めて高い金利を払っていることを反省?して公募で借金を返した。
利払いが理由で、営業利益と経常利益の差が200億円もある会社をわたしは一社も知らない。

この会社は営業利益を300億円稼いでも、ゼロ金利時代に利子等の営業外費用を200億円近く負担している。

普通は、エクイティファイナンスをして借金を返せば非難される。
ところが、悲しいことに、この人たちのROEが金利より低かった。
エクイティコストより高い借金をしていたからだ。

そして、経営陣の自信なんだと思うが、ストックオプションを経営者はゲット(2016/9)した。

前回2009年発行の優先株2011年にすべて償却したが、今回のファイナンスもそうなると考えている。

否定的に見る必要はないと思う。



− 時代の風は吹いている −


欧州も日本も建築ラッシュである。

それはなぜだろうか???
簡単なロジックがある。

長期のフォローの風が板硝子に吹いている!!


−答えはこれである。

建て替え前の丸ビル(1923−1997)といまの丸ビル(2002−)である。

建て替え前の丸ビル(1923−1997)地上8階建(のちに9階へ造築)。
これが2002年に建て替え。なんと39階建てとなった。

階数が4倍である。

窓ガラスは大きくなった。
各階の窓ガラスの面積は4倍とするなら、
トータルでは16倍以上に「ガラス面積」が増えた。


70年での建て替えでガラス使用量は、わたしのラフな計算で16倍になっている。

これは70年の連続複利で年率4%数量成長であり、日本のGDP成長より随分と高いのだ。


背景は、都市化である。

コンパクトな都市に機能を集め、その近隣に住居を置く。
それにより、土地の使用効率が上がる。

建物の経済価値は、延床面積とランニングコストにより定まる。
床面積は高層化することと馬鹿デカイ柱を使わないこと、窓枠を大きくとることで達成する。

ランニングコストは、その土地の日射時間や温度等から省エネガラスを使うことで達成できる。


ビルは一度建て替えると20倍の量が出て、省エネ機能付きであれば価格は1.5倍に上昇する。

そうなれば、30倍の量がじわじわと世界中で「丸ビルの建て替え」事例がぽこぽこでているのだ。

フロートガラスは、世界で寡占化は進んでいるようで
上位4社で6割の市場シェア。(板硝子IR)

iphone8の筐体がガラスになったり、
地下鉄銀座線の車両間のドアがガラスになったりと
ガラスの活躍はちらほら目立つ。

iphoneがガラスになるのは、アルミ筐体より電波が通りやすいからで、
電波が通るということがワイヤレス給電にも有利になる。



− 業績予想は単純モデルを使う −


好況時のモデルは以下の通り。

コモディティ企業は市況状況や変動費の動向に合わせて収益を適時見直さなければならない。


限界利益率37%(ちょっと高すぎるかもしれない)

固定費32%(人件費従業員数26000人規模が大半)

10年後売上1.4倍(年利4%増収、数量増のみ)

0.06の営業利益は0.20に(計算上はOPM6%から14%に)

0.028の経常利益は0.19へ(金融収支が改善するからそうなるのです)

つまりEPSは10年後に期待値260円。

リスクは高い。ガラスには市況があるので。


配当の将来予想。

一応、配当性向の期待値を25%としておくと120円が配当予想。
120円をいまのTOPIX並みに利回り2%で評価すれば6000円ですよね。
株価6000円をいまの価値に割り引くと、何%程度で割り引くことが適切なのだろうか。

それについては、double-growth.comの銘柄研究に書いてあるから、
少々、話が専門的になるので割愛します。

https://double-growth.com

これが不況になれば、不況モデルは、限界利益率を5%程度下で計算すると十分かと思います。

一応やると、収益は10年後に期待値はいまの2倍程度。

EPSで120円。
配当性向30%ならば10年後の配当36円程度となる。

不況モデルだと10年後には900円程度をまだうろうろするということになります。


ベストケース。

VA商品の構成比の高まりにより変動費率が10年で4%改善すると仮定すること。
10年後の株価は10000円となり、ベストケースです。


投資は自己責任でお願いします。

10倍になるかもしれないってことと、
そのリスクをとるかどうかってことは別問題です。



− 参考:日本板硝子(以下NSG)の戦略 −


戦略は高付加価値製品の比重をあげること。
同社ではVA製品群を呼ばれているものであり、ガラス表面に機能性材料を塗布することで熱吸収率や反射率あるいは透過率を用途に応じて高めることで省エネガラスとして高単価へとシフトすること。

実際、フロート法の一貫生産により高機能材料のスパッタリングをインラインで行うことは同社の得意とするところだ。

NSGのHPにはガラス業界の需要について、あるいは、同社の得意なフロート工法についての説明があるので参考にしていただきたい。

一貫生産でVA(value−added)製品の変動費はそれほど上がらないが、単価は強気でいきたいというところが同社の中期的な経営戦略となっている。
ミックスの良化により変動費率の改善にフォーカスを当てている。



− 政治のこと −


コモディティ株については、競争力という概念が希薄なため、
どうしても、マクロ要因や政治要因が重要になる。

競争力は釜ごとの勝負になる。釜ごとに分析するのがコモディティ株の基本。

トランプ政権下では米国の素材メーカは米国への輸入品のシャットアウトを政権に求めるだろう。

実際、日本でも寡占3社は板ガラスの高単価4000円(m2)を謳歌していた。
ところが1990年に外圧により日本政府が輸入品を解禁したため、
板ガラスの単価は三分の1に暴落した。

2000年代に入って、若干、値段を戻したが、現状も、1000円台前半で価格は推移している。


政治にも流れがある。
昔は、価格破壊で消費者が喜ぶ政策が受けた。
だが、それが、日本人の給料を激減させて、
購買力そのものを失わせてしまった。

一方的に外国産を輸入すれば国内の生産者は立ち行かなくなり、
それが結局、消費者自身のリストラや減給となったのだ。

年収が3分の2になるという経験を日本はした。
世の中の大多数はコモディティを扱うことで成り立っている。

それゆえに、政治の責任は重い。
だからみなさんも投票にはいきましょう。

ただ、政治がこれまでの規制緩和一辺倒ではなくなったことは、
グローバル企業の勝ち組と一般市民との対立の構図が明らかになったため。

コモディティも地産地消を基本とし、割高でも安全な地元のものを使う方向にある。

政治トレンドは同社に有利です。



− 経営とは何か??? わたしはこう思う、変動費だと −


偉そうなことを言う。

コモディティ会社であれ、会社の経営者は、すべからず、変動費率を改善すべきだとわたしは思う。
変動費とは、自分自身では決められないから、コモディティの変動費は絶対水準が高くなる。

だから、薄くすること、軽くすることで、それを認めてもらえる業界、電子や自動車向けに製品を開発するのは間違ってはいない。

差別化ができるのではあれば。


フロート工法は自然な張力を使うので、均衡する厚みが6〜7mmになる。

ならば、その厚みを活かせる用途を開発する、というのが出発点になり得る。

自然な6〜7mmを二重にして、機能を大幅に高めるという戦略はいまのエコガラスの戦略と重なる。

だから、建築向けへの研究費の投入はこの会社の強みを活かすことになる。
都市化という大きな社会の波があるのだから、そこは自信をもってほしい。

プラズマや液晶にいくら入れ込んでも、それらは淘汰されて、
もうこの世にはない。CRTもそうだった。

そうではなくて、100年先もある建築向けを本気で強化するのは間違った選択になりようがない。


僕らは所詮、素人。ガラス屋さんじゃない。

だから、ガラス屋さんは自信をもって、ガラスの将来を語ってほしいと思う。

頑張ってください。応援しています。
(近々取材予定。アップデートします。)



− 売りのタイミングについて −


市況の悪化が見込まれるときです。



スローインベストメント
〜毎日が遊びだ!〜
ファンドマネジャー 山本 潤
みんなの運用会議:https://double-growth.com


NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。
(社会人学生として数学科博士後期課程在籍中)


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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成長株投資のための教科書 その1

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なぜ書くか。
誰も本当のことを書かないから。


以上。



結論。

PER(株価収益率)で株価を評価してはいけない。
PERとはある期間(通常は1年間)における利益(期間利益)で時価総額を除した数値。
単に一時点での両者の比(点の評価)にすぎない。



もう一つの結論。

PBRで株価を評価してはいけない。
PBRは簿価ベースの株主資本で時価総額を除した単純な比である。
株主資本の簿価を基準にしたものである。
これも「点」の評価にすぎない。


PERやPBRは、株価を算定するバリエーションとしては不十分。
ちなみに、わたしは、この2つの株価指標は使わない。
これらは非常に筋が悪い。



まず、PBRという指標について、見てみよう。

PBRは資産の時価を評価しない。
売掛金の不良債権や無価値となっている固定資産やのれんを簿価で評価している。

企業の実態を示していないだけではなく、投資家をミス・リードするから悪質である。


PERはどうか。

PBRに輪をかけて悪質である。

PERが低い会社は、一般的に、高い事業リスクを負っている。
高い事業リスクには高いリスク・プレミアム(不確実性の対価)を要求しなければならない。
その「事業の危うさ」をPERは「株としての安さ」として評価する。
悪人を善人扱いするようなものだ。

大変、悪質な指標である。

実際、PER3倍だからといって、投資家にはメリットはない。
3年で元が取れるわけではない。

配当利回り33%ならば、一年で33%が回収できる。
これは、配当が投資家にとってのキャッシュフローだから。
EPSは投資家にとってキャッシュフローでもなんでもない。


事業リスクについては、好不調の波が大きいものほどリスクが高い。
変動費率(変動費と売上の比率)が高い企業は事業リスクが当然高い。

かといって、変動費率が低くても、反社会的な事業を営んでいれば、事業リスクは極めて高くなるので、一概には言えない。

たとえば、泥棒は変動費率は低いが事業リスクも同様に高い。


PERやPBRが低いものを選好する投資家は、資産が毀損している企業や事業の先行きの怪しい企業を高く評価する。

株にしろ、債券にしろ、金融商品の評価というものは、長期間のキャッシュ・フローとその確度を想定し、それらを「リスクに応じた現在価値に直す」ことで得られる。

投資家にとって、長期の予想キャッシュ・フローとは、配当のことである。

長期の配当列を予想し、その確度を評価し、適切なリスクを設定することがバリエーションの基礎になる。

DDMは将来の配当列を基本に考え、PERやPBRによる投資は現在の収益力や資産価値を基本に考える。

PERやPBRは時間やリスクの概念がないから、文字通りに次元が低い。



もちろん、長期予想に基づくPERというものがある。

「10年後の予想収益を基準にPERの低さから判断して買い」

だとすれば、その考え自体が紛い物である。

紛い物といったのは、事業リスク相応のリスク・プレミアムを乗せた割引率で投資家へのフリー・キャッシュ・フローを割り引いていないからだ。

だから、PERは理論的に間違っている。
10年後のお金を今のお金で割ったりしている。
こういうものは概念の交錯という。

株価は現在の価値。
10年後のEPS予想は、10年後の現金の価値である。

両者を演算してはいけない。

両者の属する空間が違うからだ。

事業が危うい企業のキャッシュ・フローをリスク・プレミアム10%で割り引く。

10年後の予想EPSを現在価値に直せばe^−1 = 0.367となり、その予想EPSの現在価値は3−4割程度しかない。


100年前の1000円といまの1000円と足す人がいたとしたらどうか??
合わせて2000円だと言われて納得できるのか?

そういうことをPERは行っているのである。

PERというものは実務上のみならず、教育上も大変な害悪である。


DDMが1次元の線分であれば、PERやPBRは0次元の点のようなものである。
線分の長さを考えなければならないときに、点しかわからないのでは、どうしようもないのだ。

このような次元の低いものをありがたく使っているのは、迷信を超えて、もはや害悪である。


一方で、DDM(割引配当モデル)は将来にわたる長期間のキャッシュ・フローをすべて勘案している。

また、固有の事業リスクも勘案している。

また、配当原資としてのネットキャッシュをモデルに組み込むことも容易だ。

こういうよいものがあるのに、なぜ、投資家はこれを使わないであろうか?



PBRは最も危険な投資指標のひとつである。

タイタニック号が沈没するときに、救命ボートに乗れない人が、
「大金を払うから君の席を譲ってくれ」
と頼んだところで、ボートにすでに乗っている人が席を譲ってくれるだろうか。


何を言いたいかというと、

「本当に困っている人は、値段に関係なく資産をただ同然で投げ売る」
ということだ。

PBRが低い企業は、収益力が低いから、事業は盤石とはいえない。
いわば、「沈没してもおかしくない」船に乗っている。

そんなときに、たとえば、リーマンショックのような信用収縮が生じる。
PBRの低い企業は、貸しはがしの影響を受ける。

金融危機なんてものは、100年に一度ではなくて、数年に一度の頻度で起こる。


貸しはがしによって、資産をただ同然で投げ売りしなければならない。

事業規模が大幅縮小する。

PBRが低いことを投資の判断にする人がいるが、やめたほうがよい。
危険すぎる。



−会計操作と短期の経営志向−


PERとかPBRとか短期の指標を使っているから、企業は不祥事を起こすのではないか。
会計トリックも財務の損失隠しも、短期的な利益を取り繕う愚行だ。

製品の限界利益の高さや社会のその製品に対する潜在的な需要の大きさと需要の強さ、それに、競合状況などから、理論的に正しい判断を行うのが投資である。

そのとき、キャッシュ・フローは長期的なものになるのは必然だ。
並みの企業になるという平均への回帰を受け入れたとしても、せめて20−30年ぐらいのキャッシュ・フローは考えるものだ。

そういう長期の視点で物事を判断する賢明な経営者や投資家が多数になれば、不正会計を行う動機は生じない。
設備投資を何年で償却しようが、売上の計上基準を変えようが、長期の投資家には同じことだ。

長期の投資家は設備投資を固定「費」と見るから、減価償却の概念すら不要である。
売上の計上基準についても、20年のスパンで見ればキャッシュ・フロー(配当)への影響は軽微だ。


短期利益を気にしなければならないから、管理する人間ばかりが増えていくのである。

これは、極論かもしれないから、管理者諸君は、気にしないでくれ給え。


だが、
企業評価というものは、もっと単純なもの。
商品が売れるか、それだけである。


投資家は、商品が売れるかどうかを判断する。
売れると判断すれば買いの評価になる。
それだけだ。


財務会計は「短期」の利益隠しや損失隠しに利用されてきた。
四半期のことばかり聞く投資家が多いから、企業も短期志向になる。


企業の中期経営計画が発表する必要があるのか。
大切なことは何を成すかであり、組織を鼓舞し意義のあることを目指すことである。

胸を張れる商品を世に出すことだ。

利益をまず目標にするなど、発想が全くの逆である。

大きな間違いである。
企業の使命は素晴らしい商品を開発し、それを提供することだ。

その対価が数字だ。
商品開発情報は外部に漏らしてはいけない。

企業の中で、高く困難な目標を掲げ、それに向かってコツコツと懸命に、愚直に歩むのみ。

あえてアピールとか発表する必要はない。
商品の販売量は投資家ではなくて、顧客が決める。

だから、決算数字は顧客が決めることで企業が能動的に決められるものではない。

商品の出来がよくても、価格設定や対象顧客を誤ることがある。
企業が投資家に「コミット」するという悪習はやめるべきだ。


あるいは、企業は自らの業績の予想なんか開示しなくてよろしい。
いわゆる、会社計画というものだ。

それは顧客が決めること。
企業がその将来に影響を与える情報を投資家に漏らすからインサイダーが生じる。

会社計画の策定はインサイダー情報を含む。
決算の結果だけを投資家に開示すれば十分だ。

決算も税務で必要なのは年度で一回なのだから、年に4度もするのは過剰である。


四半期開示はやめたほうが良い。

計画を達成した、達成できなかった、下方修正となったなどは、経営者の力量とは見做せない。

だから、十分に保守的な数字を企業が故意に出し、アナリストたちが、いや、これは保守的だ、などとレポートを出して、一丁前の仕事をやった気になっている。

こういうのは茶番である。馬鹿らしいというより、嘆かわしい。


ただし、有価証券報告書など、過去の実績については開示は充実させる。
発売が終了した商品については、社史などで開発者やその時の工夫や知恵などで差し障りがないようになった時点で、しっかりと記録に残す。

サーボモータの父とか電子顕微鏡の父とか、日本企業には隠れた偉人が数多くいる。彼らの功績を歴史に刻むことも経営者の重要な仕事だ。


年に一回は実績の決算をしっかり発表するから、まったく決算の開示をしなくてもよい、と主張しているのではない。

また、売り出した商品は世の中に出回っているのだから、それらを見れば投資家にとっては、貴重な情報になる。

さらに、特許はすべて開示されている。これらは、情報の宝庫である。
大いに活用すればよい。



投資家は、まず、商品のことを知ろう。
そのためには、基礎学力があった方がよい。

理工系の知識があれば、特許が読める。
開示特許を分析すれば企業の将来像が見えるはずだ。


日次決算、週次決算、月次決算、四半期決算を一生懸命しても企業は商品が売れるようにはならない。

また、投資家は月次決算を見ても、商品のことは理解できない。

短期の決算を見るよりも、まず、もっと大きな世界、商品、その社会的背景、潜在需要を見るのが先だ。



まずは、PERとPBRという運用業界や証券業界の害虫を駆除することだ。

会社予想や四半期決算という害虫を駆除しよう。

アナリストの資質を上げたければ、理学博士たちに商品評価をさせることだ。

財務をことさら詳しく聞いたり、販管費の細かい内容を聞いたり、セグメントの細かいところまで取材するアナリストは時間を浪費している。

取材ではなく商品を見ることに時間を使うべきだ。
アナリストは商品を見よう。

商品の先にある、見えない「潜在的な需要」を見よう。
時代の風を感じよう。

アナリストが見るべきは短期の四半期決算ではなく時代の精神である。



さて、批判ばかりしていても仕方ない。


では、どうすべきか、これから考えようではないか。


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〜じっくり考える成長株投資〜
ファンドマネジャー 山本 潤


プロフィール 山本 潤

NPOイノベーターズフォーラム理事。
メルマガ「億の近道」執筆17年間継続。
1997−2003年年金運用の時代は1000億円の運用でフランク・ラッセル社調べ上位1%の成績を達成しました。
その後、2004年から2017年5月までの14年間、日本株ロング・ショート戦略ファンドマネジャー。
みんなの運用会議では、自分のおカネを10年100倍の資産運用を目指している。
コロンビア大学大学院修了。
法哲学・電気工学・数学の3つの修士号を持っています。
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